愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

実存的知念様

鉄の人との約束通り、昨日のエントリを大々的に訂正しました。あと先日ちょっとだけあげていたサマリチケットの譲り先は決まりました。ありがとうございました。


いま猛烈な吐き気に見舞われています。これは『嘔吐』の主人公ロカンタンがマロニエの根を見て自己の存在を実感し嫌悪したごとく、知念様の素晴らしさというものが、知念様を思考する私自身の存在を嫌が応にも実感させ、私は私の存在の重みにより内臓ごと押し出されてしまいそうな嘔吐感に襲われているのでしょう。


……昨日「え、ありよしさんって仏文専攻だったんですか?」と言われたので、仏文専攻らしく知念様を語ってみようと思ったんですが、私が現実生活を放棄してサマリーにアンガージュマン(参加)している時点で、サルトルの思想とまったく馴染まないことに気付いたのでやめます。サルトルは神の存在を否定したし、ニーチェは神は死んだと言ったけど、私はどちらかといえば神を復活させたいんです。というと、なんか本当に新興宗教めいた危ない話になってしまいそうなんだけど、別に私は知念様を神格化したいわけじゃなくて(普段の言動からそう取られても仕方ない気もするけど……)、ただ単に絶対的な存在という意味で神という言葉は便利すぎてつい使いたくなってしまう。神とは「一方的なまなざしを向ける存在」である、と言えるかもしれない。私はたぶん「一方的にまなざしを向けられる存在」を神にしたいんだと思う。


別に実存主義に目覚めたわけではなく、飲み食いしないで炎天下に外回りをしていたせいで気持ち悪いのでしょうが、今の私に体調不良になっている暇はないのでもう寝ます。本当は亀梨さんについて書こうと思ってパソコンを立ち上げたんだけど、頭がぼんやりしすぎて、気付いたら知念様のことを書いてました。昨日のエントリについた一部の星から無言(じゃないけど、全然)のプレッシャーを感じるので、明日は「亀梨さん切ないキャンペーン(仮)」を開催します、たぶん。