愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

丸4年

なんだかあっという間に3月も終わろうとしています。この冬は関東圏で何度も雪が降るほど寒かったのに、なぜか例年より早く桜が咲いていて、自分自身の繁忙さもあいまって、世の中全体が生き急いでいるような感覚に囚われています。


2009年3月21日のセブンコンで「大きくな〜れ☆ボク!!」を歌う知念様を好きになって、今日でちょうど丸4年になりました。あいかわらず、私は知念様のことが毎朝窓から叫びたいくらい好きで、そんなに時間の経ったことがいまいち信じられません。
もう今月で日記の公開はやめるつもりで、やめるなら今日のエントリーを最後にしようと思っていました。

最近、中谷宇吉郎氏の著作を読んでいます。世界で初めて人工雪を作った物理学者で、ジャニワでお馴染みの「雪は天から送られた手紙」という言葉を残した人です。

毎日のように顕微鏡を覗いている中に、これほど美しいものが文字通り無数にあって、しかも殆んど誰の目にも止まらずに消えて行くのが勿体ないような気がし出した。そして実験室の中で何時でもこのような結晶が出来たら、雪の成因の研究などという問題を離れても、随分楽しいことであろうと考えて見た。

(『雪を作る話』)

私が知念様について、何かに追われるように書いていたのも、これと同じことなのかもしれません。
最初は知念様のことを覇王と呼んでいましたが、段々と彼の奔放さや強さの裏に潜む優しさや繊細さに心惹かれるようになりました。ひたすら強い自己肯定を貫く知念様は、ともすれば傲慢に見えることもありました。だけど、それは怖いものなんてなかった幼少期を終え、成長して変わっていく自分へのとまどいの裏返しだったんだと思います。そういう成長期ゆえのゆらぎが透けて見える時の知念様は儚くも美しくて、だけどそれは分かりにくくもあって、そういう知念様が誰にも知られずに消えていくのが惜しくて、私は日記を書いていたような気がします。

少し前まで、私は映画監督か画家になりたいと思ってました。知念様の若さゆえの美しさを写し取って閉じ込めてしまいたかったからです。恐ろしいドリアングレイの物語は私の知念様に対する欲望と同じでした。けれども、知念様は着実に成長していって、私のそんな馬鹿らしい欲望も少しずつ落ち着いてきました。


知念様は今年で二十歳になります。私の今までの経験から行くと、大抵対象が二十歳を超えると徐々に興味を失っていきます。猫は飼い主に死体を見せないために死期が近づくといなくなってしまうことがあるらしいですが、 最近私が日記を閉じてしまいたい衝動に駆られるのは、知念様に興味を失っていく自分を誰にも見せたくないからなのかもしれません。

なんとなく、自分がこんなに必死なジャニヲタとして生きることもそんなに長くない気がしています。もしそうなら、私は知念様についてもっと自由に書きたくなって、知念様について書くのをやめたくないから、非公開にすることにしました。

私は日記をやめるとしたら、きっと線香花火が落ちるように少しずつ火種が小さくなって、さみしくぽとんと落ちるようにやめるんだと思っていました。そして、書いたものは私の燃え殻として、公開したまま残しておくつもりでした。だから、好きだから非公開にするという結論に達するほど知念様が好きな自分に驚きつつ、嬉しくもあります。

文章を一度公開して一人でも好きだと言ってくれる人がいるのであれば、その文章はもはや書いた人自身のものではないと思っているので、そのうち自分の気が済んだらまた公開すると思います。
でも、少なくとも知念様が二十歳になるまでは閉じてるかな、たぶん。

こんなふうに日記を書き始めて、幸いなことに嫌な思いをすることはほとんどなくて、楽しいことや嬉しいことやありがたいことばかりありました。本当にありがとうございました。
特に私が今でも悔やんでいるのは前にやった知念様アンケートのお礼が送れていないことです……ごめんなさい……。あれは別URLに作る予定なので(というか半分くらいは作ってある)、そのうちURLを非公開画面に貼りつけとくかもしれませんが、期待はしないでください……。

今月いただいた拍手にはお返事をしたかったのですが、忙しくて時間が取れず……。本当にすみません。迷惑だったり、嫌だと思うコメントは本当に一つもないです。逆に気を使わせてしまってすみませんでした。

長くなりましたが、とりあえずはありがとうございました。
そして、何にもない私にこんな素敵な気持ちを与えてくれた知念様ありがとう。
私はいつも過剰に神格化した知念様にばかり寄りかかっているのですが、今日だけは知念くん本人にお礼を言いたいです。


4年前のあの時、15歳の知念くんを好きになれて良かったと思います。
私も色々と思い悩んでいた時期で、知念くん自身も成長していく自分を目の当たりにして色々と迷うこともあったと思います。
そんな中でも自分らしさを見失わず美しく成長していく姿はいつでも私の道標で、そんな姿を見守れることが本当に幸せでした。

これからも知念くんは知念くんらしく、まっすぐに生きていて下さい。
そんな姿を見ていると、私も少しはまっすぐ生きていける気がします。
本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願い致します。