愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

学校の怪談

20歳前後の方なら、『学校の怪談』といえば小学生のころに流行った緑と赤の装丁の怪談集を思い出すだろうが、これはその本のことではない*1口承文芸(要するに田舎のじいさまばあさま方が代々受け継いできた民間伝承)は現代社会において急速に滅びつつあるように見えるが、意外な場所で根強く生き延びていた。その場所とは学校である。子供達がまことしやかに伝える「学校の怪談」には口承文芸の伝統が確かに息づいている。本書は中学校教員をしている(いた?)筆者が子供たちの話を集め、民俗学的に研究した論文をまとめたものである。
こういうと少し難しそうに思えるけれど、「赤い紙・青い紙」「はなこさん」「口さけ女」「人面犬」など多分多くの人が一度は聞いたことがある話をモチーフに平易な文章で論じられているので、とても親しみやすく面白い。なぜ学校で怪談が生まれるのかということについて、大雑把に言うと筆者は二つの理由を述べている。一つは怪談は「非日常的空間」に対する心理的不安が生み出したものであるということ。怪談の舞台は普通の教室ではなく、トイレや理科室や音楽室などであることが多い。特にトイレを舞台にした怪談はぶっちぎちで多い。学校のトイレはじめじめしていて薄暗く、個室には上下に隙間が開いており、そのような場所で下半身を露出することは本能的な不安を誘う。そのような不安が昂じて怪談が次々と生み出される要因になったのではないか、というのが第一の理由である。
非日常的な空間に対する不安が怪談を生むというのはポピュラーな考え方で、民俗学ではそのような空間を「境界」と呼ぶ。こちら側の世界と向こう側の世界の間に横たわる曖昧な空間に対しての呼称で、古くから伝わる妖怪譚はこの「境界」を舞台に語られることが多いらしい。かつての「境界」は橋や辻や峠などであり、都市開発が進むにつれてそのような空間の境界性は失われつつあったが、学校という一見安全で身近な空間の中に実は「境界」が潜んでいたというのが面白いと思った。
もう一つの理由として学校という制度やシステムそのものが挙げられる。学校というのは均質的な空間である。決まった時間割に決まったカリキュラムをこなすことは、子供たちに精神的な圧迫を与える。そこに怪談を投じることによって一種のカオスを発生させ、それに乗じて子供たちは巧妙にストレスを発散させているのではないかというのである。学校という意外性の乏しい空間の中にいる子供たちにとって、怪談はある意味子供たちの未知なるものに対する憧れや欲求を秘めているのではないか。
これはなるほどなーという感じ。小学生の頃、怖い話の本を読んだり怖い話を友達とすることが大好きだったけれど、怖がることが好きだったというより、先の見えないことに対してドキドキしたりワクワクしたりすることが好きだったんだよなー。今はその対象が「怪談」から「ジャニーズ」になっただけで、根本的に私はこの頃から変わってないな…あはは。
私のまとめ方はかなり大雑把で、実際にはもっと色々細かな要因がある。それがいちいち納得できて(微妙に「うーん…」と思った部分もあったが割愛)面白い。私のように口さけ女の存在を信じていて、「ポマードポマード」と唱えながらべっこう飴をポケットに毎日登下校していた人間なら誰でも楽しめる良書だと思う(ちなみにこういう研究書であっても未だに「口さけ女」についての記述を読むとぞっとする。三つ子の魂百までですな)。また田舎に伝わる民間伝承と学校の怪談は、骨組は同じでもやはり後者の方が現代風にアレンジされていて、そのアレンジされた部分から現代がどういう時代であるのかということを読み解いているのも興味深かった。
実はミネルヴァ書房から出版されている『学校の怪談――口承文芸の展開と諸相』の方を1年くらい前に図書館で借りて読んでいて、以来ずっと欲しいなーと思い続けていた本だった。文庫になってたんならそう言ってよ!たまたまブック○フで文庫版(ミネルヴァ書房版から世間話関連の論文だけまとめたもの)が100円で売っているのを見つけてすぐさま購入。こういう発見は嬉しいけれど、ブックオ○にだけは本を売りたくないという気にもさせられる。とにかく面白かった。

*1:実は作者は同じです。この研究で集めた怪談を子供向けにリライトしたものが小学生に親しまれる『学校の怪談』なんだと思います。