愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

幽遊白書

幽遊白書』を3年ぶりくらいに読み返しました。やっぱり蔵馬っておたくな女の子の夢のかたまりみたいな存在だと思う。まあ、私が好きなキャラは人間界バージョンのコエンマと刃霧要なんですけどね。人間どうせ死ぬなら私は刃霧要に死紋十字斑を付けられて死にたい。「お前…もうオレから逃げられないぜ」とか言われたい。こういうキャラが好きなのになんでジャニーズだと風間氏とかやっさんとかが好きなんでしょう。生田さんははなんか分かるんですけど。
最近、芸能人で一番好きなのは野村宏伸さんかもしれないと思ってます。毎日『あぐり』を見てるんですが、ぶっちゃけエイスケさんよりも辻村さんの方がときめきますもん。ああいうなよっとしていて、爽やかで、善良そうで、でもいざとなったら他人より自分を選びそうなタイプって激ツボなんですよね。りんたろうさん、好き。


ちょっと話が逸れたんですが、『幽遊白書』を読んだわけです。で、やっぱり幽白は三竦みになってからがイマイチだと思うんですが、何がイマイチかって戦っていても「ギリギリ感」がないことだと思うんですよ。躯*1が実力出せなかった理由と一緒。やっぱりギリギリの中で戦っていて先が読めないからこそ、ワクワクするし面白いんですよね。


で、話は飛躍するんですが、エイトって歴代ジャニーズの中でも一、ニを争うほどギリギリ感に満ちたユニットだと思うんです。まあ、ジュニア自体結構ギリギリな存在なんですが、エイトなんてもうCDを出して2枚目の予定まで立っているにも関わらず、未だにファンはエイトがいつなくなってもおかしくないという危機感を持っていますし。そうでもないかな。少なくとも私はまだ持ってます。
そんなギリギリアイドルの関ジャニ∞がもしギリギリじゃなくなってしまった時、つまり「安定」なんてものを手に入れてしまった時、それでも私はヤツらを好きであり続けていられるのかなーとか少し考えてしまいました。私がアイドルに求めているものって「ワクワク感」ですし。幽白がトーンダウンしていったようにエイトへの思いも…みたいなことをちょっと思ってしまったのです。キンキさん風にいえば「あまりに愛が大きすぎると失うことを思ってしまうの〜」みたいな感じです。今のところ、そんな気配はまったくないんですけど。今もフォーラムのオロミを脳内再生しつつのたうち回りながらこれ書いているんですけど。
モーニング娘。が5期メンを募集することを発表された時、誰かが加護ちゃんに「もし加護よりかわいい子が入ってきたらどうする?」と聞きました。加護ちゃんは「そんときゃそんときだ!」と間髪入れて答えていました。私も加護ちゃんみたくなろう。今からうだうだしたってはじまんないわ。


ジャニーズに限らず、私が一番恐れていることって「馴れる」ということなんです。なんか馴れたくないですよね、何事にも。

*1:むくろです。ちゃんとした漢字が出ない…。そういえば、友達で「躯に萌える」とか言ってる人がいるんですけど、それってやばいなぁと思う反面すごく分かりやすいなぁとも思う。