愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ドリボズのDは電波のD

昨日ドリボズを見に行ったのですが、なぜこの舞台は再演を重ねる毎に電波度が増してゆくのでしょうか?まるで蒸留を重ねて電波な要素だけを精製しようとしているかのよう。一番最初の滝様ドリボを見た時もそのあまりに電波な展開にポカーンとしたものですが、まだ面白がることのできるレベルの電波さでした。しかし今回は違う。最初は笑って見ていたけれど、終わる頃にはあまりに電波過ぎて背筋が寒くなった。私はジャニー大好きで「ジャニー原作舞台は電波であればあるほど良し!」という姿勢で生きてきたのですが、これは正直どうかと思う。登場人物の言動がいちいち理解不能。演出もいちいち理解不能。「考えるな!感じてみろ!感じてみろ!」という舞台なのでしょうか?しかしこんなものを感じていたら、私のデリケートな感性はハレーションを起こして真っ白になってしまいますよ。一度しか見ていない私ですらそう思ってしまう舞台、それを毎日演じさせられていたらカツンかエイトの中で一人くらい思想的に変な子が出てきてもしょうがないのではないかとすら思う。毎日の舞台で疲労が溜まり判断能力が下がっているところで、こんな感情的な舞台を演じていたらその電波の波に飲まれてしまっても仕方がないのではないだろうか。もはや洗脳に近い。特に亀梨さんは日々自分を殺しながら演じていそうだ。あの『挑戦者』は……あれは……。あの曲を情感を込めて歌い上げる亀梨さんには凄まじい諦念を感じた(勝手に)。もう一つ壁を越えたら無我の境地に辿り着けそう。


山田様に激しくもえもえしたのは事実。しかしもうドリボはいいよ。私もさすがに思った。これはジャニーズ一のカルトミュージカルとして伝説という名の過去に押し込めてしまっていただきたい。エイトは足抜けさせてもらえそうなのでまだ良いのだけれど……。