愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

来たるべき日のことを思う

今まで私の描く夢はことごとく叶わなかった。それが大きなものであれ小さなものであれ、私が描く夢はいつも叶わなかった。私の過剰に膨らんだ理想に対する答えはいつも卑小なもので、私はその現実にがっかりしながらもどこか安心しながら今日までを生きてきた。思うに夢や理想というものは、追いかけていられる間が一番幸福なのだ。夢や理想は叶えるものではなく、追いかけるものなのだ。一つの夢や理想を叶えても、更なる上に夢や理想が控えているなら良い。しかし一つずつ叶えて叶えて、すべての階段を登りつめた時、私たちにできることはそこから転げ落ちることしかない。だから私は常に両手に抱えきれないほどの夢や希望や理想を抱き、それが叶わない現実に安堵するのだ。


しかし山田様は違う。彼はいつでも私の夢を、理想を、はるかに上回る答えを次々と提示する。「START!」で世界の中心に立ったあの日から世界は回り始め、その無垢でありながら(いや、むしろ無垢であるからこそ)すべてを飲み込むようなダンス一つで、彼は自分自身の位置を押し上げ、のし上がり、仕事をもぎとってきた。「青春アミーゴ」や「Venus」の立ち位置、滝沢演舞城における山田様オンステージ、それらを見た時、私の夢の手持ちはなくなった。「夢>現実」という状況しか知らなかった私にとって、「夢=現実」となった現状はあまりに非現実的で、それはまさに永遠のスープに差し込まれる突然の明るさのように私を驚かせながらも喜ばせた。


そして夢と現実は逆転しはじめた。山田様がドラマに出演なさること自体は想定の範囲内であったが、そのドラマにおいて主要人物にあたる役、しかも単なる賑やかしではなくツンデレ美少年を演じるという事実は私の描く夢や理想をはるか高く飛び越えていた。突然の「夢<現実」という状況は、まるで長らく暗いあなぐらで暮らしていた人間に強い光を当てるようなもので、喜びや驚きではなくむしろ恐怖に近い感情をおぼえた。

ただ・・・・
ただわいが気がかりなのは・・・・


ジョーが一つ一つ
おそろしいパンチをおぼえていくたびに・・・・


ジョー自身も一つ一つ・・・・


ふ・・・・ふしあわせに
のめりこんでいくような気がすることや・・・・


(『あしたのジョー』文庫版2巻より)

山田様はジョーじゃない。けれども坂道を転げるように前進する姿が怖い。彼が進む速さは光だ。そのスピードは見るものに畏敬の念を抱かせる。


7月1日。来たるべき日のことを思う。


自分はどうなるのか。
世界はどう変わるのか。
彼はどこへ進むのか。