愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

少年テルレスのまどい

カラマーゾフや死霊と並び、学生時代に少し読んで挫折していた本。たまたま出張で仕事が早く終わってぶらついていた古本屋で発見、なぜか今すぐに読まねば!という衝動に駆られ、買ったその足でスタバに行き、スタバが閉店したらファミレスに移動し、5時間かけて一気に読了。緊迫した読書体験であった。昔(といっても4〜5年前)に読めなかった本が今は読めるということから、年齢を重ねることで得るものもあるんだなぁと思う。自己成長なんてくそくらえと思うんだけど。
虚数」について思い悩むテルレスを見て、「虚体」を探究する三輪与志のことが少し理解できた気がした。

寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫)

寄宿生テルレスの混乱 (光文社古典新訳文庫)

光文社からも発売されているんですね。こういう手に入りにくい作品が文庫という手に取りやすい媒体で発売されるというのは素晴らしいことだと思う。でも光文社の新訳シリーズを手に取ることにはなぜか抵抗がある。なんか、なんか嫌。装丁はきれいだし、訳もきっと読みやすいんだと思う。でもなんか嫌。ごく出ファンを厭う仁亀担の気持ちがちょっとだけ分かる。が、やっぱり文庫で出るのはよいことだと思う。基本的に通勤中に本を読むので、手軽に持ち歩けるというのはありがたい。
ただ光文社のHPに掲載されている訳者の言葉にまったく同意できない。

知性はどうやってサディズムに転じるのか。耽美主義はどうやってテロに転じるのか。無意識の大陸を発見した「第二のコロンブスムージルが、クールに描いたボーイズラブの古典。(訳者)

特に最後の言葉。そりゃねーよ。ムージルが泣くぜ。本当に訳者の言葉なのか?確かに非常に萩尾望都竹宮恵子の世界に通じる作品、というかこの2人は絶対にこの作品を読んでいて、それぞれの感性で濾過した結果誕生したのが「トーマの心臓」であり「風と木の詩」なんだと思う。思うけど、そりゃねーよ。