愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

『Romeo&Juliet』の楽しみ方〜主体と客体の逆転からくる倒錯的快楽〜

午前休の日は残業をしてはいけないらしく、なんと定時退行をしてしまいました!午後出勤で定時退行、なんてセレブリティな生活!街が明るい!空が青い!知念様かっこいい!
というわけで、今年(といってもまだ四分の一も過ぎていないわけですが)私をもっとも悩ませた「『Romeo&Juliet』という曲に対峙する方法」についてようやく答えが出たような気がするので、それについてのくだらない文章です。すごく長い上に、いまいち意味不明だと思うのですが(そもそも私の「主体」と「客体」という言葉の解釈が間違ってる気がするけど、他の言葉を探すのも面倒なのでこのまま行きます)、「ここの人はここまで考えないとこの曲を受け入れられないのか……」と憐れむような気持ちで見ていただければ幸いです。




私はジャンプの曲にしばしば倒錯的な快楽を見出しています。それを特に強く感じるのが『真夜中のシャドーボーイ』と『カワイイ君のことだもの』の二曲です。


まだ知念様に興味を持つずっと前、私がシャドボを聴いて最初に思ったことは「チェリーがチェリーって言ってる(笑)」というしょうもない下ネタでした。けれども、この最初の印象は案外この曲を的確に表現していると今になって思います。この曲に満ちた大人のいやらしさについては前にid:ariyoshi:20090502:1241225017で散々語ったので割愛しますが、『真夜中のカーボーイ』なんて持ち出さなくても、そしてこの曲にちりばめられた性的な隠喩なんぞをわざわざ引き合いにしなくても、この曲には倒錯的なエロスが漂っています。

『真夜中のシャドーボーイ』*1の中で、ジャンプたちは「チェリー」と呼びかけている「君」に対して、「つるんとしているその素肌」「丸くて真っ赤な頬」という形容を用いています。この曲はドラマ「スクラップ・ティーチャー」の主題歌だったこともあり、有岡・中島・山田・知念の四人がフィーチャーされることが多かったのですが、この言葉が似合うのはむしろ歌っている当時中学生(ありーたんは違うが)だった彼ら自身だと思います。
私事ですが、先日初めて知念様の夢を見ました。その内容がコンサートを最前列で見ていたら、なぜか知念様がこちらに両手を出してきて、私はその手をおそるおそる触らせていただき「なんてすべすべなお肌なんだ!!」と感動する、というなんかよく分からない夢でした。たぶん当落確認をした疲労と、寝る直前までシャドボを聴いていたせいで見た夢なんだと思うんですが、とにかく私にとって「つるんとしているその素肌」は彼ら自身にこそ捧げたい言葉なのです。「丸くて真っ赤な頬」という表現も、なんとなく女性に向ける表現ではないように思えます。「紅顔の美少年」という言葉はありますが、「紅顔の美少女」なんて聞いたことありません。
この曲はMステで「初のラブソング」と紹介されていましたが、私にとっては自分たちのことを歌っている、まるで池に映る自分に見とれるナルキッソスの神話のような曲にしか思えません。


また、知念様がメインボーカルをつとめる『カワイイ君のことだもの』*2、この曲を見た誰しもがつっこんだことでしょう、「カワイイ君ってお前(知念様)のことだろ!!」と。そこいらの女の子以上にカワイイ知念様が歌う「理想を絵に描いた女の子」であるところの「君」に自己投影できる女子なんているのでしょうか?いくら平成女子が強めでもそうそういないんじゃないかと思います。この曲はとにかく歌詞が秀逸で、どの歌詞もファンがアイドルに対して抱くキラキラとした気持ちに置き換えられる気がします。

君がいればもう心もウキウキと 強気な言葉で満ちていく

変わらないものはないけど 後悔なんかしないように
この瞬間をブッちぎれて愛したい!

カワイイ君とYeah yeah! 遊びいこうよ Chu chu!
オバカになって もう一回 カワイイ君と Yeah yeah!

どれもこれも、カワイイ知念様の魅力に絡め取られ、何回もコンサートに言ってしまう愚民のことみたいじゃないですか!?この曲は歌詞だけではなく、アイドルの二次元性を完璧に再現した演出も含めて大大大好きな曲なので、そのうちきちんと語りたいです。ちなみに音源化はされておりませんが「Hey! Say! Jump-ing Tour '08-'09」というDVDには残されています。この曲を映像で残してくれたことに感謝せずにいられません。


とにかく、この二曲に共通すること、それは「歌詞の中の『君』が彼ら自身に他ならない」ということです。私はそもそも歌詞に自己投影をするのが苦手なので普通の聴き方というのが良く分からないのですが、この2曲にはとくに自己投影する隙がありません。
曲を歌うアイドルという「主体」が、実は「君」という「客体」でもある。
そこに気付いた聞き手という「客体」であったファン自身も、いつの間にか「主体」の位置に立たされている。
そうして「主体と客体の逆転」に彼らだけでなく、私たち自身も絡め取られ、まるで合わせ鏡をひょいと覗きこんだかのような倒錯的な楽しみが生まれるのです。


さて、前置きが長くなりましたが、ここで本題の『Romeo&Juliet』*3です。先にも述べた通り、私はとにかくアイドルの中に自己を投影するのが苦手なので、ファンにジュリエット役を求めるこの曲が苦痛でしょうがありませんでした。しかし、曲自体は聴けば聴くほど、軽妙でおしゃれな素敵な曲なように思えてきました。何より、この曲でメインボーカルをとる知念様が本気です。ロミジュリについて聞かれた時の知念様の受け答えからは毎回溢れる気合が伝わってきます。

こういう曲は僕がやらなきゃ誰がやるんだって感じですね!
(『TVぴあ(2010/2/20-3/7)』)

(メンバーがロミジュリを「無理」「恥ずかしい」と言っているのに対して)
本当?僕は全然平気だったよ。
(『TV LIFE(2010/2/20-3/5)』)

知念様の意欲作を否定するなんて愚民としてあってはならないことです。そこで、この曲の「ジャンプがロミオ、ファンがジュリエット」というコンセプトは忘れることにしました。そして純粋に曲として向き合うことにしました。
この曲のメインは、冬コンで結成されたチビーズこと知念様・山田くん・ありーたんの3人です。先日出たばかりのWink up4月号のセブン対談で、圭人が「理想の王子さま」という意味合いで「ロミオ」という言葉を使っているのを見て、ふと疑問が湧きました。この曲のメインボーカルがなぜこの3人なのか?
たぶんこの曲の「ロミオ」と「ジュリエット」という言葉に「王子様」と「お姫様」以上の意味はありません。「僕は王子」と歌うより「僕はロミオ」と歌う方がなんとなく響きも雰囲気もいい感じになる、それくらいの意味しかないと思うんです。だから、この曲に対して「そんなのんきなロミオとジュリエットとかねーよ」というつっこみはナンセンスだと思います(それはそれで一つの楽しみ方だとは思いますが)。
今のジャンプで、本当に王子様っぽいのは、薮くんやゆうとりんだと思うんです。なのに、ちっこい方から数えた3人がとびきりかわいくセンターで歌っている、ここにこの曲を「主体と客体の逆転」としてとらえる糸口があるのではないか?と考えました。

この曲の知念様は過剰なかわいさを振りまいています。知念様は「ジューリエット!」と叫びますが、かわいさで武装した知念様以上にかわいいジュリエットなんて存在するんでしょうか?山田くんも、この曲では険しい顔を封印しひたすらかわいい山ちゃんでのぞんでいます。私は知念様より山田くんの方がよっぽど女顔だと思っているので、彼が本気を出して勝てる女子もまたいないでしょう。ありーたんは、まぁ合法だからな!
本当に王子様みたいな薮くんやゆうとりんがロミオ役をやったら、彼らはロミオ以外の何者でもありません。そこをあえてかわいい三人にやらせることにより、歌っている彼ら自身がロミオなんだかジュリエットなんだか分からなくなってきます。ここに「主体と客体の逆転」が生じ、この曲につけいる隙がようやく生まれるのではないでしょうか?ファンのことをジュリエットと呼びつつ、かわいさをぶつけてくる彼らからは「僕ら以上にかわいいジュリエットなんているのかな?」という挑戦状を叩きつけられている気すらします。そう思えば、この曲は「主体」と「客体」が逆転した上に、対立までしている、ものすごくスリリングで愉快な曲なのかもしれません。
知念様は「ロミオ」である以上に「ジュリエット」である。
この結論に至り、ようやくこの曲を受け入れることができました。今までもそうでしたが、次のコンサートでもジュリエットの振付ではなく、ロミオの振付を踊ろうと思います。自前の白い軍手に自分で「GUMIN・ARIYOSHI」と書いて持っていきますね、知念様!!

*1:作詞:ma-saya、作曲:馬飼野康二、編曲:馬飼野康二石塚知生

*2:作詞・作曲:磯崎健史

*3:作詞:亜美、作曲:Andreas Ohrn/Henrik Smith/Filip Lampell、編曲:川端良征