愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

中休み

言いそびれていたのですが、サマリ前に拍手のお礼画面を差し換えました。5回続けて押せば全部見られます。お暇な方はどうぞ。


以下、悪夢のようなサマリー幻想からまだ覚めやらないうつけものの戯言。ひどい内容だから隠します。私は元々エログロナンセンスな世界が大好きで、思わぬところでそのダークサイドに知念様が足を踏み入れていらして、ずっと混乱しています。




朝のWSで、知念様の例のシーンが流れました。でも朝の明るいブラウン管を通して見ると、知念様の見世物小屋に売られた少女感はあまり感じられませんでした。元々そんなものはなかったのかもしれません。
私の中で、あの場面はもはや丸尾末広の『少女椿』の世界なんです。目を背けながらも惹かれて止まない、退廃とエログロに満ちた世界。
ドストエフスキーの『悪霊』で例えれば、普段の知念様はスタブローギンなんですが、あの場面の知念様はマトリョーシャなんです。あああごめんなさい……!!でも罪の意識すら心地よい。稲垣足穂が『少年愛の美学』で言っていた「見ることの邪淫性」という言葉がリアルな質感を伴って迫ります。


私はずっとアイドルを見つめながら、「見る」という行為の罪深さと快楽性について考えていました。普段は刹那的な萌えに押し流されて、深い思考にまで至らないことが多いのですが、ここにきて、私の後ろ暗い嗜好を巻き込んで、凄まじい勢いで噴出してきました。
「見る」って一体何なのでしょうか?この夏を越えたら分かるようになるのでしょうか?


夏はまだ始まったばかりです。