愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

歪んだ王国でしかまっすぐ立てないこどもたち

知念様アンケートをしこしこ作っていたのですが、あまりに質問がくどすぎて誰も答えてくれそうもないので、シンプル化をすすめていたらシンプルになりすぎた。うーーーんどうしよう……と悩んでいるうちにこんな時間になってしまった。

相変わらず、私の中の空前の谷山浩子ブームは続いていて、谷山浩子さんの歌を聴きながら知念様に思いを馳せている今日この頃です。「王国」という曲を聴きながら、ジャニーズという歪んだ王国について思ったこと。結論を決めないで書き始めたせいか、いつも以上にとっちらかっていて、何がなんやら。




ジャニーズのオリジナルミュージカルは大概トンチキなのですが、中でも最も物語として破綻していているのが「DREAM BOYS」だと思います。私はこの舞台を見ていると、「この舞台に出演している子たちは、この物語が破綻しているということをきちんと分かっているのだろうか?みんな本気でこの物語に感動していたらどうしよう?」と不安になります。毎日緊張と疲労に晒された一種の極限状態の中で感動的な演出をもってこのおかしな物語をすりこまれると、まともな物語に対する感性が麻痺してしまう子もいるんじゃないかと思うんです。

ジャニーズという世界には大なり小なり、こういう面があります。単に歌って踊るだけにせよ、あの非現実的な衣装を着ること自体、よくよく考えると異常なことです。その異常事態を受け入れて、彼らは笑顔でファンにパフォーマンスを提供してくれます。それだって、本当に平気でやっているわけではなくて、自分の中の羞恥心や自尊心と折り合いをつけながら、「アイドル」という責務を彼らはまっとうしているのでしょう。

知念様は基本的には「アイドルであること」をものすごく意識していて、その非現実性に対するネガティブな感想(「恥ずかしかった」とか「抵抗があった」とか)は基本的にはほとんど言いません。そんな知念様がオリスタでこんなことを言っていたのが印象的でした。

知念 だって空中ブランコ(『SUMMARY2010』)の白タイツの衣装とか、普通じゃ着られないでしょ?そういうのを乗り越えてくると恥ずかしいっていうのはないんだって。


(『オリスタ』2010/11/18号)


山田くんとゆまたんが「よく遊び〜」を歌うのが恥ずかしかったとコメントしているのに対して、知念様が言い放った一言です。初めてサマリーのサーカス衣装を見た時、身体のラインにぴったり沿った真っ白な衣装のあまりの卑猥さにびっくりしたのですが、知念様が堂々としているのでてっきりあの衣装を着ることにさして抵抗はないのかと思っていました。けれども、私たちが思っている以上に知念様はこの衣装に抵抗があったようで、サマリーの千秋楽でも「あの衣装のおかげで空中ブランコも56回成功させることができました」とわざわざ衣装について言及をしており、他のメンバーにも「知念にしか着こなせないよ!」と慰めともつかないコメントをもらっていました。このタイミングで再び話題に出すあたり、本当に本当に抵抗があったんでしょう。それでも「嫌だった」とか「恥ずかしかった」という言葉をまったく使わないところがものすごく知念様らしいと思います。彼は「アイドル」に関わる部分を否定しないんです。

アイドルの世界は非日常であるがゆえに、世間一般の価値観と比べると歪んでいるような気がします。そして、その中でまっすぐに立つためには、自分たちの価値観を同じだけ歪めていくしかないんじゃないかと思うんです。知念様はジャニーズの中でもかなり「アイドルであろう」という意識が高い方だと思います。知念様はアイドルの世界は歪んだ王国のようなもので、そこに居続けるためには自分の中の何かを歪めていかなければならないことを気付いているんでしょう。先に上げたオリスタのコメントには、すべてを受け入れてやろうという一種の諦観を感じます。

歪んだ王国に ぼくたちは住んでる
ほかに住めるところが ふたりにはない


(「王国」作詞・作曲:谷山浩子


この歪んだ世界で立つことに慣れた人たちが、普通の世界に戻ることってとっても難しいと思うんです。ジャニーズJr.が残酷だと思うのは、彼らには将来の約束がないにも関わらず、この世界で多少なりとも歪められてしまうところです。ここから急に歪みのない世界に戻された時、すんなりその形を戻せるものなのでしょうか?いわゆる辞めジュに芸能活動を続ける人が多いことが、その答えなような気がします。ここから抜け出すには相当の精神力が必要だと思います。

「歪む」と一口に言っても、歪み方は人それぞれで、知念様のように自分を歪めて受け入れるタイプもいれば、山田くんのように自分自身は変えずに歪み自体を丸飲みしようとして苦しむタイプもいるし、もともと歪んでいるからむしろこの世界ではまっすぐ立てている人(失礼な話かもしれないけど、圭人はこのタイプな気がする。ゆまたんにも同じにおいを少し感じる)もいれば、そこに抵抗してよく分からない方向に行ってしまう人もいます。それでも、ジャニーズの世界にいる以上、なんらかの形で歪んでいかざるをえない。

ジャンプの子たちってみんな驚くほど真っ直ぐ立っていると思うんですが、彼らが歪んだ王国にいる以上、きっとどこかが歪んでいて、その真っ直ぐさはその王国から出た瞬間に失われてしまうことを思うと、ただ立っているだけでもとても儚いもののように思えてきます。


……ここまで書いて思ったのですが、私はここ(id:ariyoshi:20101021:1287679454)で言ってたことと、半分くらい同じことを言ってますね。前、Nさんに「ありよしさんが知念様について書いていることは、結局毎回同じことだ」と言われたけど、本当にそうなんです。特に今年の春くらいから「知念様はアイドルであるために何かを切り捨てていて、その失ったものに知念様自身が気付いていない」ということが私の中のテーマで、この問題を色々な角度から検証したくてしょうがないんです。というわけで、この話は性懲りもなく「知念様のガラスの仮面」に続きます。