愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

涼介と侑李

昨日のラジオ雑感で辿り付けなかった部分の話。前から一度、知念様にとっての「侑李呼び」について考えたいと思っていたので、昨日のラジオは本当に興味深かった。

山田:お前だぞ、次、侑李。
知念:お!……なんか馴れ馴れしく侑李って呼んだ(笑)
山田:おう。いけないか、お前、「侑李って呼んでよ」って言うじゃん、いつも。


知念様ってハットリくんの頃は自分のことを「侑李」と呼んでいたんですよね。たぶん、知念様にとって「自分=侑李」であって、「侑李」と呼ばれることが一番自然というか、それが一番フラットな状態なんだと思う。だから学校の友達にも「侑李」と呼ばれているし、苗字呼びをしてくる人には「侑李と呼んで」と訂正をするんだと思います。知念様にとって「侑李」は日常なので、「侑李と呼んで」と言うことは訂正にすぎない気がする。

逆に山田くんにとって「涼介」と下の名前で呼ばれることは、すごく特別な意味を持つことで、この話は何度もしているけれど、2006年3月の少クラで「みんな僕のことを苗字で呼ぶのに山下(智久)くんは『涼介くん』と名前で呼んでくれるので愛を感じる」というお手紙を読んでしまうくらい、山田くんにとって下の名前で呼ばれることは親愛の情の表現としてかなり上の方に位置する行為なんだと思います。だから裏を返せば、山田くんがメンバーに「涼介と呼んで」アピールをしていた時期は、彼の中のJUMP愛が高まりまくって溢れてしまっていた時だったんじゃないかと思います。

知念様にとって下の名前で呼ばれることは自然な行為だから、あっさり「涼介と呼んで」に乗れたんだろうし、山田くんにとって下の名前で呼ぶことは特別な行為だから、なかなか「侑李と呼んで」に乗れないんでしょう。あんなに人には言っておいて、いざ自分が呼ぼうとすると呼べないあたりに、山田くんの人間関係の構築の仕方の重苦しさを感じます。


じゃあ、知念様にとって「侑李」は日常だから、ジャンプメンバーに「侑李」と呼ばれても特に嬉しくないのかというと、そういうこともないんだと思います。モーニング娘。のメンバーって昔は自分のことを苗字で呼んでいたじゃないですか。私の大好きだった辻ちゃんも昔は自分のことを「辻」と呼んでいましたけど、プライベートだと自分のことを「のん」と呼んでいたんですよね。苗字とは言うなれば「家の名前」なわけですから、苗字を名乗るということは自分以外のものも背負っている気がするんです。だから、苗字を名乗るときは名前を名乗る時よりも責任を感じる。辻ちゃんがかつて仕事では「辻」だったように、知念様は仕事の時は「知念」なんだと思います。そこに知念様のアイドルとしての覚悟と責任を感じます。

知念様が山田くんに対して「侑李と呼んで」と言っているのだとしたら、それは山田くんの存在が知念様にとって日常になっているってことなんだと思うし、たぶん「侑李」と山田くんが呼ぶようになったら知念様は素直に喜ぶと思います。昔のYCラジオでも、山田くんがなんとなく「侑李」と呼んだら目茶苦茶嬉しそうにしていましたもんね。そういう風に人との距離が近くなっていくことを知念様はとても好ましく思っている気がする。


だけど、なんとなく知念様って「仕事」に「日常」が入り込むことが苦手そうな気がするんですよね。逆に「日常」に「仕事」が入り込むことは平気そうだけど。だから、今回のラジオでいきなり山田くんが「侑李」と呼んだことに動揺気味だったんじゃないかと思うんです。「仕事」に突然「日常」が飛び込んできたから。それで思わず「馴れ馴れしい」とか言っちゃったのかもしれない。

山田くんにとって、「仕事」ってもう「日常」のすべてになってそう。だから、山田くんは知念様が動揺した理由も分からないだろうし、「馴れ馴れしい」という言葉だけをものすごくネガティブにとらえて、このラジオで「侑李」と呼ぶことに対して1歩進んで3歩下がってしまったかもしれないですね。


昨日の形式主義と物質主義の話と繋げたかったのに、うまく繋がらなかったので、そのうちリベンジします。
とにかく火曜日のラジオは興味深かったです。おやすみなさい、知念様。