愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

書きたいことリスト

今日は寝過ぎて眠れない。
最近お風呂で岡本太郎の『美の呪力』を読んでいます。寝る前には毎日カミュの『シーシュポスの神話』を読んでいます。たった6ページに集約された生の賛歌。

闘争において、果敢に攻めると同時に、また運命的受身、倒される側の様相がなければ、それ自体決して生きないのだ。攻めるなら攻めてみよ。そこに何か悲劇的なドラマ、美がある。

岡本太郎『美の呪力』)


私には芸術を解する能力がまったくないのだけれど、アイドルという存在が隠し持つ悲劇性に美しさを感じているような気がします。その最たる人が私にとっては山田くんで、世の中の負の出来事をすべて自分の身に背負おうとしているようなドストエフスキー的な重厚な悲劇性を時折彼に強く感じます。山田くんのそういう外に向いた悲劇性は彼のアイドル性に由来するものなんでしょう。一方、知念様にも悲劇性を感じることがあるんですが、それは愛するあまり狂ってしまうオフェリア的な内に向かった悲劇性なんです。私は知念様がアイドルであるために、年齢相応の少年らしさを心のダムに沈めているような気がするんですが、そのダムに至る川にはミレーの『オフェリア』のごとく、悲劇的な純粋さが静かに流されているのかもしれません。
とかなんとか、なんかよく分からないことを考えながら一日中風邪で寝てました。熱に浮かされた時の世迷言はおかしいけど面白いですね。知念様、ハムレット知ってるかな?知らなかったら圭人に教えてもらってくださいまし。圭人はかっこつけマンだから、きっとシェークスピアを読んでいるはず。っていうか(BY.ガーヤ)、なんかの雑誌で読んでるって言ってた気がする。また眠くなってきたので寝ます。



  • キリストの磔刑と山田くん
  • シーシュポスの刑罰とアイドルについて語ること