愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

圭人のことを知念様の愚民として考える

長らく日記で感情的なことを書くのを避けていたんですが(これでも)、ここ数日例の件をどう受け止めたらいいのか分からなくて、私は何かに思い悩むと本を読むという性癖があるので、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を読み耽りながら意識の片隅で悶々と考えていたのですが、ブリキの太鼓を叩きながら過去について綴るオスカルを見ているうちに私にはこの場所があることを思い出したので、久しぶりに思ったことを思ったままに書いてみることにします。私にとってブリキの太鼓はきっとここなんだと思います。


私はもともと圭人のことがあまり好きではありませんでした。何度か言ったことがあるかもしれませんが、2006年のジャニーズJr.の大冒険で、お父さんの健一さんが「ミッドナイトトレイン」を歌っていた時、他のジュニアの子たちは一生懸命歌っているのに、圭人だけはつまらなそうにあくびをしているのを見てしまったからです。おいおい、お前のために父親がわざわざ出てきて歌ってるのにそれはないだろ、おぼっちゃん?と当時の私は呆れてしまい、いけすかない七光り野郎としてインプットされました。


私は根に持つタイプなので、知念様を好きになってもしばらくは圭人に興味はなかったのですが、知念様を知っていく上で圭人の存在を避けて通れなくなり、段々と圭人の中身を知っていくうちに「まぁ圭人だからしょうがないか」と思うに至りました。
今回の件について悶々と考えていたんですが、これについても最終的に辿りついた結論が「まぁ圭人だからしょうがないか」だったんですよね。最初は「圭人、フライデーとかちょっとかっこいいんじゃない?スターみたいじゃない?」と不謹慎にも興奮していたんですが、段々「え、撮られたんじゃなくて流出なの?馬鹿なの?」と苛立ちが湧いてきて、でも最終的な「まぁ圭人だししょうがないか」といういつもの結論に辿りついてしまった。いや、しょうがなくないんですよ。全然しょうがなくない。もっと言えば、あくびをしていたことすら私は未だにしょうがないとは思ってない。説教できる機会があるなら今でもしてやりたいくらいです。


でも、考えているうちに「まぁ圭人だからしょうがないか」と思ってしまうんです。他担だから無責任なことを言うんじゃないかと言われるかもしれませんが、もともと現場系じゃなかった私がこれほどまで現場系になってしまったのは確実にKCのせいなんです。知念様はいつも同じように素敵だから、ファンサ厨でもない私が同じコンサートを何度も見る必要って実はあまりないんです。じゃあなんで現場に行くのかというと、すごく分かりづらいけれどそこに確かにKCがあるからなんです。私がもともとあまり好きじゃなかった圭人を好きになったのは、知念様が圭人といる時だけ素になってのびのびとしていて、そんな知念様がとてもかわいかったからであって、そんな圭人は私にとってもすごく重要な人なんです。


私はもともと知念様のアイドルとしての自意識の高さが好きでした。見た目は子供、頭脳はアイドルな知念様がかっこよくて仕方ありませんでした。私はそんな知念様かっこいい教の狂信者だったので、圭人といる時のかわいい等身大の知念様を発見した時は、パウロがキリストに出会った時のように目から鱗がぽろぽろ落ちました。いや、実際には落ちてないけど、それくらいの衝撃でした。知念様にとって圭人がどういう存在なのか知りたいと思ったものの、コンサートレポはほとんどないし、雑誌でも対談しないし、ラジオも陰謀説を唱えたくなるくらい当番が回ってこなかったため、私は自分の目でKCを見るために現場に行くようになりました。そして、やっぱり圭人と対峙する知念様が一番かわいいと確信したので、パウロキリスト教の伝道師になったように、私もKCを伝え広めたいと思うようになったのでした。


今回のツアーの長野でのMCで、前日にメンバーで焼き肉を食べていて、にんにくを食べようとした時に知念様が「ちょっと待って。これ食べたらお客さんのとこ行けなくなっちゃうよ。どうする?」と悩んでいたという話を聞いて、知念様がかっこよすぎて健気すぎてアイドルすぎて、感動のあまり泣きました。結局食べたらしいんですけど、焼き肉を食べる一男子である前に、翌日にコンサートを控えたアイドルとして、客席降りを気にしてにんにくを食べることをためらう知念様の意識の高さが本当に素晴らしいなと思いました。


それに比べて圭人ってアイドルであるという意識があんまり高くないんですよね。生まれた時からジャニーズが日常の生活を送っていたから、別にわざわざ意識しなくても彼はジャニーズでいられるんです。だから、彼にはアイドルであるための意識なんて必要ないんです。圭人はファンに優しいという話も聞きますが、圭人の優しさは自己愛から発しているものだと私は思っています。圭人が「ファンのため」と言っていても、そういうファン思いの自分を愛する気持ちが一番強いような気がします。そういうのって本当は鼻につくんですけど、圭人はもともと愛され尽くして育ったことと、一旦自分のバックグラウンドが何もない英国に留学して牙を全部抜かれたことがうまく作用して、押しつけがましさがないナルシストという不思議なパーソナリティを手に入れました。


圭人がそういう人だってことは分かっていて、それが圭人の良いところだとも思っていて、知念様もそんな圭人だからほっとするんだと思うんですけど、でもやっぱり今回の件はちょっと馬鹿すぎるという失望にも似た気持ちが強くて、知念様はこんなことをしでかした圭人のことをどう思っているんだろうと思って悩んでいたんですが、ふと思い立ってフランス旅のトーク部分のDVDを見てみたら、少し答えが見つかった気がしました。


「同じグループじゃなかったら友達にならない人」というテーマで知念様は圭人を選んで、こうおっしゃってました。(括弧内の数字は再生時間の目安)

「圭人とかかもしれない。意外でしょ?(高木:意外)(八乙女:超意外)(薮:ジュニア時代とかずっと二人でいたりしてたじゃん)そうそうそうそうそう。なんだろ最近かな、でも。ちょっと圭人のアクティブさについていけないっていう。その性格どうのこうのっていう感じじゃないんだよね、そこなんだよね」(51:53)

「あとなんか色んな決まり事にちょっとルーズなとこあるじゃん。ちょっと時間とかも、結構遅くまで寝てるとか、約束したのにあんま起きないとか、そういうとこがちょっと僕の生活スタイルには合わない。僕は時間より、絶対集合時間より20分は前にはいたいとか。(52:43)(中略)そういうの心配だから、圭人には、なんか、ね、ちょっと電車が遅れたりとかしたら遅刻になるから、30分前ぐらいには来るようにしといてよって言ってるんだけど、絶対にない、しないよね(55:05)」


そもそも知念様は圭人のルーズなところがあんまり好きじゃないんですよね。圭人の意識を正そうとしているのがかっこいい。諦めてるけど。その後、「自分が女でメンバーを彼氏にするなら?」という質問で、知念様は圭人は無理だとおっしゃって、こっそりこう呟いていました。

「性格とかじゃないから、生活スタイルだから」(1:12:29)


知念様のいう生活スタイルって、仕事に対するスタンスとか意識とかそういう意味だと思うんですけど、生活スタイルが合わないだけで圭人の性格は別にいいんですよね。最初に引用した部分でも「その性格どうのこうのっていう感じじゃないんだよね、そこなんだよね」と知念様はおっしゃってました。
私は今まで「罪を憎んで人を憎まず」という言葉の意味がいまいち分かっていなかったのですが、知念様のこの「生活スタイルを否定して性格を否定せず」というスタンスはまさにそういうことなんじゃないかと思いました。


今回のことで、正直私は呆れてしまった気持ちが大きくて、きっと知念様もそういう気持ちがあるんじゃないかと勝手に思っているんですが、よくよく考えたらメンバーの知念様は私なんかよりずっと前から圭人のそういう部分(女関係のことではなくて色んな意識がルーズなところ)を知っていたわけで、だけど圭人そのものは否定はせず、生活スタイルと性格を分けて考えていらっしゃったんですよね。圭人そのものに呆れていたら、脳内ダンスであんなに圭人を褒めちぎる歌詞なんて作れないと思うんです。


ここまで考えて、知念様って本当に優しい人なんだなぁとしみじみ思いました。最近、コンサートを見ていて、知念様の優しさは弱さからきているものじゃなんじゃないかと思っていたんですが、知念様自身の芯の強さからも来ているんですよね。圭人の生活スタイルを否定して、性格を否定しない知念様はとても強くて優しい人だと思うんです。


きっと今回も知念様は彼の生活スタイルに対しては呆れて怒ると思うんですけど、性格は否定しないんでしょう。そう思ったら少し気が楽になりました。そんな風に分けて考えてもいいんですよね。
あとは実際に福岡で自分の目で見て判断するしかないのですが、きっと知念様は変わらなくて、私は最終的にいつも通り「まぁ圭人だからしょうがないか」と思ってしまうんでしょう。全然しょうがなくないんだけど!しょうがないでなんとなく済んでしまう圭人も好きなんですけど、やっぱりしょうがなくないと思うので、圭人にはこれから死ぬ気でがんばってほしいです。そしてやっぱり知念様はかっこいいです。