愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

人は何故いのっちに萌えるのか 

(以下のいのっち雑感はあくまでドラマの中の彼のこと、要するにマッキーについてのことです。本人がこんな人だとは思っていません。はい。) 
今日もいのっち(@あした天気になあれ。)はザ・キューティエストでした。私はこのドラマのいのっちに限り並々ならぬ萌えを感じてしまうのですが、その理由が今日わかりました。チェックのシャツです。チェックのシャツに私は萌えているのです。きょうびチェックのシャツなんて着る男性はなかなかいません。細かいチェック柄ならまだしも、いのっちの着るチェックは一つ一つの四角形がかなりの大きさ(推定5センチメートル)を誇っています。現代において、チェック模様を構成する四角形の大きさはそのまま「ダサさ」につながるでしょう。そう、このドラマのいのっちはダサいのです。 
別にいのっちがダサいから萌えているのではありません。ダサい人間なんてそこらへんにごまんといます。それにいちいち萌えているほど私は暇でも変態でもありません。問題はいのっちが自分がダサいということに無自覚であることです。彼は自分がダサいということに薄々は感づいているかもしれませんが、決定的には分かっていません。だから無邪気に今日も明日もチェックのシャツを(そして時々世界地図のシャツを)着続けることができるのです。私はそんな彼にとてつもないイノセンスを感じます。少年のみに見出されるはずのイノセンスがこのドラマのいのっちの中にはすくすくとナチュラルに息づいているのです。だから私は生田さんやじんじんに萌えるように*1、このドラマのいのっちにも萌えてしまうのです。

*1:風間さんにはイノセンスは最早ないのでここには入っていません。