愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

煙か土か食い物

煙か土か食い物 (講談社ノベルス)

煙か土か食い物 (講談社ノベルス)

この小説にはタメの部分がない。出来事はまさに降って湧いてくるし、登場人物のこともよっぽど重要な人物じゃない限り掘り下げて語られないし、同じ話を他の作家が書けばきっと3倍の厚さの本になると思う。はっきり言ってかなり荒削り。けれどもとても良い小説だと思った。良いと思った理由は三つ。
まず文体に個性のあるところが良い。漫画ですら一目見ただけでそれと分かるような作画を手に入れるのは大変だろうに、それを小説でできてしまっているんだから素晴らしい。かなり反則的な文体ではあるけれど、ああいうのは最初にやったもん勝ち。技術は後から身についても個性はなかなか身につかないし、特に小説は難しいと思うから、文体だけでそれと見分けられるってことは大事だ。
次に回想シーンがサクサク読めるところが良い。物語において、回想シーンを飽きさせずに読ませることができるかどうかというのは、私の中でかなり重要な要素である。というのも私は小説でも漫画でも映画でも舞台でも回想シーンや劇中劇があると十中八九飽きておねむになってしまうからである(単に私の集中力がないだけなんだろうけど)。わざわざ話を脱線させてまで書くのだから、その部分は下手すると小説の本筋以上に作者が語りたいと思っているところなのかもしれないけれど、作者の力が入っていれば入っているほど、私は飽きてしまう。大好きな漫画『風と木の詩』でも飽きる。今まで回想で飽きないと思えたのは森田まさのりの漫画(たぶん『ろくでなしBLUES』)くらいなんだけど、この小説では飽きなかったなぁ。その分、「現在」の世界の人物がいまいちくっきりしなかったきらいはある。
三つ目の理由はなんといっても小説全体に愛が満ちているところである。粗野で本能的な愛。友達にも指摘されたことがあるし、この日記でも何度も書いているけれど、私は単純な人間で何事も「愛あらば IT'S ALL RIGHT」だと思ってる。だからこの小説もイッツオーライだ。この小説の底には愛の激流(っていうか濁流)が流れている。もうそれだけでイッツオーライ。
そういえば『愛あらば IT'S ALL RIGHT』という曲はあまり好きじゃなかった。ただこの歌を聴くとがに股で手を大きく振っている愛ちゃんの姿を思い出して、そこから連鎖して「いざ、NOW!ツアー」の『途中下車』でがに股でアホ楽しそうに手を振る相葉ちゃんと大野くんが思い出されて、すごくハッピーな気分になれるのでそういう意味では好きだ。私にとって愛とか幸せってそんなもんだ。
それと

俺は俺の価値を稼がなくてはならないんだ。

という言葉は良いね。探すとかじゃなくて「稼ぐ」ってとこが良い。確かに価値は稼ぐものかもしんまい。