愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ジュニアの時代区分

昔の裸の少年を見ていたのですが、じんじんと風間さんの絡みが萌え苦しいです…す・好き…。ノッポとチビ、アホとインテリ、ボケとツッコミ……全てが真逆なのに、どこかしらお互いを認め合っているこの関係…す・好き…。シンメとはまた違った魅力。

私、じんじんはこの頃のキャラの方が絶対いいと思うのよ。でもカツンではこのキャラではいられなかったのよ。なぜならそこに風間さんがいなかったから。別にカツンのKが風間さんだったらよかったのに、という話ではない。そんなの全然望んじゃいない。ただ私は伝えたい。「不評な扱いを受けている」と言うじんじんに対する風間さんのツッコミの素晴らしさを。よよよ。

このおよそ接点も方向性も合っていない二人が一緒くたになって一つの番組を進行していたという事実は、この頃のジュニアがどんな世界だったかを端的に表している。「この星で生まれて」を歌わずにはいられない。裸5は奇跡。

先日「風間さんのどこが好きだったんですか?」という衝撃的な質問を投げかけられたのですが、それはまさに私が風間ファンだった頃に常に抱いていた疑問で、その謎を解くために風間ファンをしていたと言っても過言ではないのですが(それはファンといえるのか?)、今思えば私は風間さんがジュニアという集団の中で保っていた特殊なポジションに萌えていたような気がします。特殊だよ、風間さんは。妹も裸少見ながら「風間みたいな人はジュニアに必要だよ」と言ってくれました。そして風間さんの特殊さが受け入れられていた、この時代のジュニア界のおおらかさを思う。

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私は滝沢さんが入ってからのジュニアの世界を3つの時代に分けて考えている。1つ目は「滝沢時代」で、この時代は「嵐デビュー」を境にさらに2つに分けて考えてもよい。3つ目はユニット乱立の「群雄割拠時代」、今も続いている時代である。

激動の時代の間にまるで大正時代のごとくひっそりとあったのが「トップス時代」である。「トップス時代」は確かにあった。そして、この時代の象徴となる番組が「裸の少年」だった。多少前時代とかぶっているが、まぁ気にしない。

ジュニアの世界を台風に襲われる街に例えるとしたら、「トップス時代」は街がひょっこり台風の目に入った時代だ。一寸先も見えないほど荒狂う世界の中で、突然降って湧いた平和な時代。驚くほど穏やかで、でもずっとこの状態が続くとはなんとなく信じられなかった時代。そんな時代にたまたまジュニアのファンになれたのは幸運なことかもしれない。しかし、今の打たれ弱さはその時代のせいでできてしまったような気もするので、そういう意味ではむしろ不運だったのかも……いや、何でも時代のせいにしちゃいけないな。

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眠いせいで、いつにも増して文章が散漫…。「トップス時代」についてはいつかきちんと語りたい。おやすみなさい。