愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

英語と日本語と圭人(前回の話の続きのようなもの)

昨日はポポロとM誌とポテトを買いました。ポポロは気が済むまで買い続けてしまいそうです。ちなみに今日はボーナス支給日みたいですよ、知念様……。
ラジオを編集してくるのを忘れたので、会社に着くまで昨日の圭人話の続きです。
M誌のネタばれが若干あるので隠します。




M誌で圭人が「英語で考えて日本語に訳して話している」というようなことを言っていて、すごく納得しました。
言語と思考の間には密接な関係があると思います。毎日使うものですし、何より思考の道具なわけですから。道具が違えばできるものも変わるのは当然でしょう。
英語は主語のあとに動詞が来る言語です。いきなり言いたいことを突きつける言語なんですよね。それが圭人の「本質を汲み取る性質」とマッチしたのかもなぁ。圭人って根っこはものすごく優しい人だと思うから、日本語しか知らなかったら圭人の美点は日本人らしい恥の精神の裏に沈んでいたかもしれませんね。ユーペースといいながら超絶マイペースな圭人が出来上がったのは英語のおかげかもしれません。言語だけじゃなくて、環境とか人間とか色んな要素があるんでしょうけど。留学してくれてよかった。

日本語は主語のあとに目的語やらなんやらをだらだら並べて最後に動詞を置くから、どうしても湿っぽくなります。だから同じことを日本語と英語で考えたら結果が変わるのは当然だと思います。


知念様は最近英会話を学びたいみたいですが、日本語ですら切れ味鋭い知念様が英語をマスターしたらより鋭さに磨きがかかりそうで怖すぎます。前に圭人がイギリスの寮の二段ベッドの下から知念様が「オハヨー」と顔を出してくる夢(改めて文字にするとかわいい夢すぎる!)を見たと言ってたけど、夢の中の知念様は本当に日本語を話していたのでしょうか?もし英語を話していたのだとしたら、圭人の中の知念様はどんな風に話していたのでしょうか?
そんなことを考えたいるだけで、この世は薔薇色に輝きますね!今日も1日ガンバレッツゴー!


次こそはポポロ感想書きたい……。