愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

SUMMARY 2010(7/19・12:00/16:00・JCBホール・サーカス部分・山田くん編)

すみません。昨日のセトリに沿った感想が途中なんですが、先にこちらを書かないと私の心がどこにも行けないので、サマリーのサーカス部分の感想だけ書きます。山田くんについて書いていたら、それだけで長くなってしまったので一旦区切ります。曲のネタバレは一切ありません。山田くん切ないバレがあります。明日は続編として知念様について書きます。それからセトリに沿って書きます。
ハラハラすることが苦手な方は、この部分だけはネタバレをして行った方が良いかもしれません。

今年の夏は山田くん切ないキャンペーンと、知念様に対する自分の欲望の在り方について考えることに終始する気がします。ニコルにはなれませんでした。しばらくは愚民のままです。むしろニコルになりたかったです……。




私は基本的にあまり気持ちの浮き沈みがありません。あっても、割と高い位置でいつも浮き沈みをしているので、むしろ少し低いくらいで丁度いいと自分でも思っています。そんな私が昨日の1部を見たあとはかなり気持ちが沈んでしまいました。友人と一緒でなかったら2部は見なかったかもしれないくらい落ち込みました。


私はジャニーズのトンチキ舞台が大好きです。でもドリボは苦手なんです。特に亀梨さんのドリボは苦手です。悲壮なまでに真摯な亀梨さんのドリボを見ていると、「アイドルって一体どこまでやらないといけないんだろう?」という疑問にぶち当たって苦しくなるんです。ただ、不思議と滝沢さんのドリボでは感じないんですよね。物語としての破綻の度合いの違いもあるとは思うんですが、たぶんそれ以上にそれぞれのアイドルとしての性質の違いが原因なんだと思います。滝沢さんと亀梨さんの悲劇性の違いは、知念様と山田くんの悲劇性の違いに通じます。


サーカス部分では、有岡くんと山田くんが綱渡り、知念様が空中ブランコをします。
知念様の空中ブランコはたぶん安心して見ていて大丈夫です。失敗するのも演出です。安心して下さい。むしろ安心して見ることが義務なような気がします。今回の舞台で知念様に向けるべき感情は「心配」ではありません。
有岡くんの綱渡りは祈るような気持ちで見てしまいます。有岡くんの震える足を見ていると、こちらの手も震えました。


でも、何より今回の山田くんの悲壮感の度合いは凄まじいです。山田くんが好きな人は相当な覚悟をして臨んだ方が良いと思います。むせかえるような悲壮感に涙が出ます。


けれども、涙が出る一方で山田くんの悲壮感はとても美しかった。それは山田くんのアイドル性に由来するものなんだと思います。


初日1部での綱渡り、山田くんは途中で失敗して落下してしまいました。舞台に降りたって客席を眺める山田くんの表情は能面のようでした。悔しがるでもなく、申し訳ながるでもなく、ただひたすら無表情でした。感情豊かで責任感の強い山田くんが、失敗したことについて何も思っていないはずがありません。たとえば、これが有岡くんだったら少しは悔しさに顔を歪めたのではないかと思います。だけど、山田くんは毛筋ほども表情を歪めませんでした。薄暗い空間で、山田くんの硬質な表情だけが浮き上がっていました。そのことがこの出来事の悲劇性を最大限に高めていました。

ここまでなら単なる悲劇で終わります。だけど、彼のアイドル性はそれを許しません。

最後の挨拶で、山田くんは感極まって泣いてしまいました。自分の一番の見せ場を失敗した時にも歪めなかった顔をぐちゃぐちゃにして泣いていました。そうして、泣いた理由として発した言葉が「嬉しい」でした。きっとこの時、山田くんの中には色々な感情が渦巻いていたんだと思います。初日を迎えてほっとして嬉しいという気持ちも、もちろんあったことでしょう。でも、嬉しい以上に、失敗したことが、辛くて、悔しくて、悲しかったんじゃないかと思うんです。なのに、山田くんは自分の中で混沌としている感情の中に手を突っ込んで、「嬉しい」という言葉を選びました。そしてファンに対して感謝の辞を述べました。山田くんの無意識の選択は悲劇に見事なカタルシスを添えました。そこに山田くんの尋常でないアイドル性を感じました。


山田くんはもともと、素朴で、はにかみ屋で、とても真っ直ぐな少年でした。その気質が様々な責任や重圧にもまれた結果、悲劇すらエンターテインメントに変えてしまうアイドル性に変わってしまったような気がします。


山田くんのアイドル性は、容赦なく山田くんを照らしています。その光が山田くんにとって毒なのか薬なのかは分かりません。ただ、硬質な表情の時も、涙に濡れている時も、山田くんはひたすら輝いていました。


だから、悲壮感をまとう山田くんは美しい。悲しいくらい美しい。