愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

河よりも長くゆるやかなゆとやま

ゆとやまラジオを勤勉に聴いています。ロマンチストなメンバーというお題で名前が一切出ない知念様が好きです。
私はゆとやまについては知識も思い入れもなく、かつて4週だけやったゆとやまラジオも聴いていないので、単に今週2回分のラジオを聴いて、通勤中の車窓から多摩川を見つめながら思ったこと。
読みたいという方が少しはいるみたいなので昨日うっかり消した内容を書き直しましたが、大したことは書けません。たぶん最初で最後のゆとやま語り。




東京と神奈川の間には多摩川という大きな川が流れていて、私は毎朝この川を越えて出勤しています。
中一の時から5年間、部活動の一環として毎年多摩川の水質調査をしていました。PHやCO2含有量なんかを調べながら、川をさかのぼり、下流と上流でどのくらい水質が違うかを調べるというものでした。細かい数値は覚えていませんが、鈍く濁った広大な多摩川が、さかのぼっていくにつれて狭まり澄んでいく様子には、蝶の羽化を見るような不思議な感動を覚えたものでした。


ゆとやまラジオを聴いていると、奥多摩の清流を思い出します。ジャニーズの様々な欲望や利権に晒され、彼らの間には河口くらいの大きな隔たりがあるように見えますが、さかのぼっていくと二人の間を流れる川は今でも驚くほど狭くて澄んでいます。
ゆうとりんも山田くんも心の奥底にささやかで清らかな泉をたたえつづけているような気がします。それを守るためには、必要以上に傷つかないといけないのに、彼らの真っ直ぐさはそれを守らずにはいられない。
たぶん知念様の心は安定を得るためにとっくにダムになっています。知念様はゆうとりんと山田くん、どちらとも仲良くしているけれど、たぶん二人ともダムの広さにばかり目がいっていて、知念様がダムの奥底に沈めたものについては考えもしないんでしょう。そして知念様もそれでいいんでしょう。

もっと年を重ねたら、心に同じものを守っているゆとやまの距離は、むしろかつてより縮まるのではないかと思います。その時、既にそれを失ってしまっている知念様が悲しいことにならなければ良いと願うばかりです。


私はゆとやまの清らかさに住むことはできません。ただ歩き疲れた足を冷たい川に浸して休むような気持ちで、ゆとやまラジオを聴いています。