愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ARASHI 10-11 TOUR “Scene”〜君と僕の見ている風景〜

今日は日曜出勤の振替休日で、ご縁があって嵐コンにいってきました。嵐コンに行くのは随分久しぶりな気がします。バックはMAD(野田加藤池田コタ)、武道、MADE。見学はふみきゅんと横尾くん。ダブルアンコまできっちり見て行ったのに笑った。
嵐コン雑感。曲が分からないのでネタばれもないです。




一時期「Dの嵐」にものすごくハマっていて、いざなうくらいから横アリでやっていた嵐コンには1ツアーに1回は行っていました。その頃の口癖が「生まれ変わったら嵐ファンになりたい」で、別に生まれ変わらずに今なればいいじゃんいいじゃん!って感じなんですが、私にとって嵐はショーウィンドウに飾られているウェディングドレスみたいに少し遠くにあって憧れながら見つめるというくらいの距離感がちょうどよかったんです。

嵐のコンサートを一言で表現するならば「ポケットに入れることができる小宇宙」でした。嵐コンはとてもまとまりが良くて、まるでポケットに入れて自分だけのものにして持ち歩けそうな気すらするのに、実際その只中にいると無限に広がる宇宙に立っているような心持ちにもなって、そんな嵐コンの親しみやすいスケールの大きさが大好きでした。ただ、だんだんチケットが取り辛くなってきて、こんな安易な気持ちでは行けなくなってしまったため、しばらく嵐コンからは離れていました。

今日嵐コンを見ながら、とても綺麗だなぁとずっと思っていました。セットとか、モニターの画質とかも綺麗だったけど、何よりコンサートの全体の流れが綺麗だった。私はJUMP以外のジャニーズはもはや茶の間以下で、嵐が今年6枚出している(と相葉ちゃんが言ってた)らしいシングル曲もまったく知らないのですが、曲が分からなくても飽きなかったのは、コンサートの組み立てがうまいからなんだと思います。緩急の付け方が絶妙なのかな。松本さんは元々綺麗にコンサートの構成をする人だと思います。だから嵐コンは安心して身を任せられる。

だけど、もう嵐コンをポケットに入れることはできないとも思いました。別に嵐のメンバーの何が変わったというわけではなくて、東京ドームと横アリという違いのせいでもなくて、変わったのは嵐をとりまく環境(楽曲も含め)なんでしょうね。なんで綺麗だと思ったのか考えていたのですが、たぶん最近の曲にサクラップがあんまりないせいだと思うんです。いや、ラップはあったのかな?少なくともゴリゴリの羞恥ラップはなかった。別にサクラップのあるなしが嵐コンの綺麗さを左右するわけじゃないんですが、翔くんがゴリゴリしていないということは象徴的なような気もします。


東京ドームに広がるペンライトの緑の海を見て、嵐は自分たちの立ち位置として広々とした場所を手に入れたんだなぁとしみじみ思いました。ポケットに入れることのできる嵐コンもかわいくて好きだったけど、広々と展開される嵐コンもとても綺麗でした。ただ、小さい頃から知っている近所の女の子に久しぶりに会ったらすごく美人になっていた、みたいななんとも言えないさみしさも感じてしまいました。いいことなんだろうに、不思議ですね。