愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

読書メモ

およそ文学のしごとというものは、たといただひたすら自分だけのために書かれたものであっても、実にろくでもない作用を人に与えるものなのだ。思案だってきわめて俗悪なものにさえなりかねない、というのは自分ではいいと思っても、他人の目から見ればなんの価値もないという場合が、大いにありうるからである。


ドストエフスキー『未成年(上)』)


ドストエフスキーですらそうなんだから、私なんかもう本当にどうしようもないですね知念様……。