愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

髪のないラプンツェル

お久しぶりです。
ってわけでもないんですが、この1ヶ月コンレポばかり書いていたので、普通の日記を書くのはすごく久しぶりな気がします。コンサートの感想は福岡と北海道分をちょっと追記しました。


私が知念様を好きになってかれこれ2年2ヶ月くらい経つのですが、未だに知念様への想いはとどまることを知らないどころか、常に知念様への思いはインフレーション気味で、デフレスパイラルならぬインフレスパイラルに一人で巻き込まれております。いつかバブルがはじけるんじゃないかと心配です。


最近の知念様は「アイドル・ちねんゆうり」を本格的に構築しはじめたような気がします。知念様がそう見られたいのであれば、ファンとしてはそれを甘んじて受け入れるべきなのでしょうが、そんな風に「アイドル・ちねんゆうり」の中に閉じこもることは知念様にとって幸せなことなのかな?とも思います。
ここにきてゆうとりんが知念様に対して、母性にも似た慈しみに満ちた態度をとりはじめたことがなんだか気になります。コンサートでも知念様の頭を撫でている姿をよく見ますし、先日までのYYラジオでもゆうとりんはこの上なく優しかった。ゆうとりんは基本的には他人の心の機微には鈍い(というか自分のテリトリー外のものにはナチュラルに興味がない)子なんじゃないかと思っているのですが、たとえば、澄んだ空気が淀んだとか、星が見えづらくなったとか、川の水が濁り始めたとか、清らかなものに不純物が混じることに敏感そうな気がするんですよね。山田くんが知念様に優しくなっても「山ちゃんが知念様の人生を背負うウォーミングアップを始めたな」くらいにしか思わないんですが(特に最近「ゆうり」呼びをし始めたのでますますそんな気がする)、ゆうとりんの優しさには妙な切なさと危機感を覚えます。知念様の中に何かが混じり始めたのか、あるいは何かが失われつつあるのか。
知念様には元々ラプンツェル的なところがあって、自分自身は出ていけないけれど、その髪を伝って登ってくる者に対してはオープンで、そうやって外の世界を広げてきました。しかし、ここにきて唯一の外との繋がりであったその髪を自分で切ってしまったような感じがします。再び髪が伸びた頃には知念様は知念様じゃなくなっていそうで、なんだか心配です。


去年の春コンでは知念様が等身大の自分とアイドルの自分の間でさまよっている気がして、知念様を見ていると切なくてしょうがありませんでした。サマリーでは知念様がアイドルとしての覚悟を決めたことを感じ、これは腹をくくって見守らねばと思いました。そして、今年になり知念様はアイドルとしての自分を本格的に構築し始めました。私は知念様を「知念様」とお呼びすることによって、知念様を過剰なまでに偶像化していましたが、知念様自身が自分の偶像化を始めた今、むしろ知念くんと呼んだ方がいいんじゃないかと思うようになってきました。


という妄執に満ちた有益性皆無な日記をまたつらつらと書いていきたいと思います。