愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

分かる試験は分からない試験よりも難しい

CDをインポートするためにPCを立ち上げました。インポートしながら、なんの気なしに自分の日記の最近の記事一覧を見て愕然としました。この人、コンサートのこと(というかサマリーのこと)しか書いてない……!!いつから、私はこんなに現場系になってしまったんだろう……。しかも、レポを書くのが苦手なくせにレポもどきばかり……。レポというからには主観をまったく差し挟まずに正岡子規ばりの写実主義を貫きたいのに、気付けば主観しかなくて、時々主語すらないから本当に私以外の人間が読んでもまったく意味が分からないんじゃないかと思います。だから、基本的にレポじゃなくて感想と言うようにしているんですが。時々、他の方のレポを拝見すると、立ち位置とか書いてあってはっとします。そういうのを書くのレポなのか!自分が後から読み返す分には楽しいのですが、たぶんレポを求めてきた方にはさっぱりな内容だと思います。最近検索でいらっしゃる方が多いみたいなので謝っておきます。すみません……。


そういえば、すごくどうでも良いことなんですが、ホールサマリーの楽の日は仕事関係の試験を受けていたので、2部しか行けませんでした。私は常に知念様のことについて考えている知念様の愚民ですが、仕事とジャニごとがかぶったら、よっぽどのことがない限り仕事を優先すると決めています。知念様にとってコンサートが真剣な仕事の場である以上、私自身も仕事を真剣にしないと見る資格がないような気がするんです。


そんな私の可憐なおたくのポリシーもどうでもよくて、試験を受けながら思っていたんですけど、勉強をした試験ほど分からない問題が気になって、勉強をしていない試験よりも難しく感じることってありませんか?勉強をしていない試験はもともとの知識がぼんやりしているので、試験自体の印象もぼんやりとしたものしか残らなくて、むしろ勉強をしていないのに分かった問題があったりすると「そこまで難しくなかったかも」とまで思ったりするのに対して、勉強をしている試験はすらすら解けるから、逆にすらっと解けなかった問題が異常に気になって「あの問題もあの問題もできなかった……もう駄目だ……」という気分に陥るんだけど、結果を見てみたら、気になっていた問題以外は全問正解で、むしろ最高点だったりすることが学生の頃はあった気がします。


私の中で、圭人は「他人の本質を掬い取る人」という認識で(だけど、本人は自分がそんな重要なものを掴んでいるなんて気付いてない)、知念様の本質もかなり正確に掴んでいそうな気がしていたんだけど、そんな圭人がわりと最近の雑誌で「知念はI don't knowな人」みたいなことを言っていたことがずっと気になっていて、でもそれは勉強した試験を難しく思うことと同じなんじゃないかと思いました。分かるからこそ分からない部分が気になる。だから、圭人が一体何が分からないと思っているのかがすごく気になる。


ということを、試験中に考えていたことを突然思い出したのでしたためておきます。そんな私は「お、勉強してない割に結構できたんじゃね?」と思っていました。まごうことなき駄目パターンですね……。