愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ

完全に日記が周回遅れになっていますね……どこかで挽回できるといいな……。


それはそうと、最近圭人について考えていると、冒頭に掲げた有名な井伏鱒二漢詩の訳が思い浮かびます。圭人の今までの人生って本当にさよならしかなかったんだと思うんですよね。突然留学させられて、突然帰国させられて、突然ジャンプに入れられて、幼い圭人にとっては、それこそ強い嵐が可憐な花を引きちぎるような乱暴さで「さよなら」だけを受け入れさせられてきたんだと思うんです。
圭人はメンバーによくプレゼントをしていますが、それは突然の別れを繰り返す人生の中で身に付いた習性なような気がします。離れ離れになっても、自分のプレゼントがあれば相手は自分のことを思い出してくれるわけじゃないですか。圭人がことあるごとにプレゼントを渡すのは、そういう思いが根底にある気がします。私は圭人を見ていて、彼に「執着」という感情を感じたことがあまりないんですけど、さよならだけの人生を送っている彼にとって、そんな感情は邪魔以外の何物でもなかったのかもしれません。

それに対して、知念様って基本的にはプレゼントをしない人ですけど、するとしても日常的に使える消耗品をあげるじゃないですか。去年、メンバー同士で交換をするためのクリスマスプレゼントでは確かゲーム用の電池を買っていたし、圭人の誕生日には圭人がよく使っているファンデーションをプレゼントしていました。

圭人と知念様のプレゼントに対する認識の違いが、人への対峙の仕方の違いにすごくよく表れている気がします。知念様はきっと好きな人の日常になりたいんでしょうね。だから、普段使えるものをプレゼントする。なくなったらまたあげればいいんです。いつだって傍にいるんだから。知念様って地球最後の日はお母さんの餃子を食べたいと言いそうな気がする。
逆に圭人はたぶん好きな人に対しては一瞬だけでもいいからスペシャルになりたいんだと思います。その部分だけ取り上げて見ると、「なんだこいつ」って感じがするんですけど、彼の今までの人生を思うと少し切なくもなります。ずっと一緒にいるということが本能的に信じられないから、一瞬でも閃光みたいに輝いて印象付けたいんじゃないでしょうか。


私には時々圭人が『オズの魔法使い』に出てくるブリキの木樵りみたいに思えます。ブリキの木樵りは元々は人間だったんですが、悪い魔女に斧に呪いをかけられて、自分の体をすべて切り落としてしまい、全身ブリキになってしまいました。心臓をなくして人を愛する気持ちをなくしてしまったから、オズの魔法使いに心臓をもらうためにドロシーと旅をしていくんですが、彼はものすごく優しくて、小さな虫を踏み潰してしまっただけでさめざめと泣いてしまうんです。

ブリキの木樵りは、自分が心臓を持っていないことをよく承知していましたので、何にたいしても、けっしてひどい仕打ちをしたり、不親切になったりすることのないよう、たいそう気をつかったのです。

ライマン・フランク・ボーム著、佐藤高子訳 『オズの魔法使い』)


圭人はメンバーに英国紳士と言われるほど優しいし、すぐに泣いてしまうという話もよく聞きますが、本当はメンバーの中で一番人間関係に対しては淡泊な感情を持っていそうな気がします。その部分とのバランスをとるために過剰に優しかったり、泣き虫だったりするんじゃないかと思うんです。私は時々そんな圭人がさみしい人に見えるんです。

だけど、そんな圭人もギターやバンドには執着をしている気がするし、少し前の雑誌では、お別れできなかったイギリスの友達に会いたいなんて話もしていました。今からでもきちんと「さよなら」を終わらせることは、圭人にとって良いことだと思います。

結局、ブリキの木樵りは優しいハートを元から持っていて、オズの魔法使いからおもちゃみたいなハートを入れてもらって満足することができました。そんな風に、誰でもいいから圭人の少しだけ欠けている部分に心臓を入れてあげて欲しいです。それは本当にささいなことなんだと思います。そして、それはそう遠くない将来に実現する気もします。


なんか知念様強化月間なのに知念様について全然語ってない気がするので、このへんのことを踏まえて近いうちにKCについて書きたいです。