愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

私分かったの さみしがり屋だと

久しぶりにラジオを聴いています。最近なんだかさみしくて仕方ないので、知念様の声を聴いているだけで泣けます。知念様の「知ってるよ」が内から外に向くようになったこととか、あのなんだっけ、化繊みたいなタイトルの雑誌で他人の真似が得意と言ってたのを読んで切なすぎて本屋で倒れそうになって買えなかったこととか、ロシア旅行の記録とか(ロシアに着いたところで終わってるという……)、最近のKCについて思うこととか、そもそも書けてないコン感想とか、書きたいことはたくさんあるんですけど、あるんですけど、寄る年波に完全に負けています……。いや、この歳でそんなこと言ったら怒られちゃうんですけど、毎日2時間睡眠でKCラジオ感想を書いていた頃の自分と比べると明らかに老いている……。
前は仕事に押しつぶされそうになる自分のつっかえ棒としてアイドルを利用していた気がするんですけど、もうつぶされること自体に慣れてきてしまった気がします。これから私はどうやって生きていけばいいんでしょうかね。このまま潰れてどら焼きみたいに生きていけばいいのかな。どら焼きはうまいから、それでもいいな。ビートルズの「Eight Days A Week」という歌を思い出します。一週間が8日あれば知念様への愛をもっと高められるのに……!!


知念様の一人ラジオを聴けば聴くほど、この人って伝えたいことなんて何もなくて、自分のことなんて何一つ知られたくないんだろうなぁという思いが強くなっていきます。年を重ねたせいか、いわゆる「知念らしさ」に引きこもるのがすごくお上手になられたように思えますが、それが知念様にとっての大人になるってことなんでしょうか。でも、確かにそれって楽ですよね。知念様が楽なら、それでいい気もする。でも、なんだかとってもさみしく思えるのはなぜなんだろう。最近の知念様は2009年の春頃から比べるととてものびのびしているように見えるけど、それが一つ殻が剥けたからなのか、一つ殻をかぶったからなのかがいまいち分からない。

世界はあらたまろうとしている。死のにおいがする。死をともなわずには、なにひとつ新しいものはあらわれないんだ。

部屋に転がっていたヘッセの『デミアン』をぱっと開いて、なんとなく目に付いたデミアンの言葉。知念様が新しい世界を得て失ったものは何なんだろう。