愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

どうでもいい話

お星様ありがとうございます。本当にこういう挨拶、懐かしいですね。
もうここは愚民の跡地なので、少し自分語りをします。どうでもいい話。


入院して、まとまった時間が突如ぽーんと与えられました。ここ数年間は仕事やヲタ活動のせいで時間がないことを理由に何も考えずに生きていました。時間がないから何も考えていないんだと思っていました。だけど、時間があってもびっくりするくらい何も考えませんでした。ただ、2ちゃんねるまとめサイトを読んだりして、ひたすら時間を潰していました。本当にネットって時間を潰すだけなんですよね。そこに何も残らない。

「わたしは空なんです。身ぶり、反射、習慣などしかありません。わたしは自分を満たしたいんです。だからこそ、わたしは人びとを精神分析するんです。」
ボリス・ヴィアン、滝田文彦訳 『心臓抜き』)

もう何度か引用している文章で、私がアイドルを好きな理由はまさにここに集約されているんですけど、入院して改めて本当に自分の中には何もないんだなぁと思いました。これだけ自由を拘束されていても、これをやりたい!!と思えるようなことが何もなかったんです。私は知念様が好きで、本を読むのも好きで、お酒を飲むのも好きで、友達と会うすることも好きです。だけど、これってすべて私の外の物事なんですよね。私の中には本当に何もない。
時間がないということを理由に色んなことを後回しにして、刹那的な快楽を求めて生きてきた結果、本当に空っぽになってしまった気がします。時間が強制的に与えられて気付きました。私は時間があっても何もしない。


自己実現とか、自己成長とか、そういうことを望んでいるわけじゃないんです。ただ、私は自分を保ちたいんです。そんなもの何もしなければ勝手に保てるような気がしていたけれど、実際には水が蒸発していくように自分の中身も少しずつ失われていくんですね。そのことに気付きました。
昔はもっと自分の中に何かが残るように注意深く色んな物事に対峙していた気がします。最近は本当にただ浪費しかしていなかった。
入院に際して、色んな方がそれぞれに優しい言葉をかけてくれて、本当にもっと色んなことを大切にして生きていきたいとしみじみ思いました。
今回入院して一番最初に欲しかったものがノートだったので、まだ少しは何かと残したいと思う気持ちもあるみたいなので、もう少し丁寧に生きていこうと思います。


なんのこっちゃって感じですね。
今日は無事知念様のサタジャニを手に入れて、散歩がてら近くの本屋さんでテレビジョンとテレビぴあを買って、陰陽屋の3話と4話を見ました。知念様のおかげで素敵な一日でした。できたら明日は感想を書きたいです。