愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

最近思うこと

知念様やKCのことについて書きたいなぁとほぼ毎日なんらかの形で思っているんだけど、あまりにも最近きちんとしたことを書けていないので、どうせならラジオを聴き直して書こうとか、録画したものを改めて噛みしめてから書こうとか、雑誌を時系列で並べて正確に引用しながら書こうとか、そういうことを考えている間にだんだん面倒になってきて、「別に私なんぞが何も書かなくても知念様かわいいしかっこいいからそれでいいや〜〜」と思ってしまい結局何もせずに終わる、という具合に毎日が過ぎていく。私は面倒くさがりやのくせに、妙に完璧主義なところもあって、「これをやるからにはこうしたい」と思いすぎて結局何もできなかったり、逆にやりはじめて自分の首を絞めてしまうことが多々ある。昔はもっとどうでもいい思いつきやくだらない衝動に突き動かされてほとんど毎日のようにこの場所でしょうもないことを書きつづっていたわけで、それがどうしてできなくなってしまったのか。歳をとればとるほど自分と折り合いをつけるのが難しくなっていってるような気がする。自分に慣れるということは、実は一生ないのかもしれない。


でも、このまま抱えていると爆破しそうだよこの胸は(BYタッキー)なので、ちゃんと書こうとか考えず、いま思っていることを率直に書く。


本当にKCの仲が良すぎるんだけど何なの!?

圭人の家でゆっくりしてたり(18時前は省略)、ドライブデートしてたり、外タレのライブに行ったり、両手におそろのピンキーリングしたり、圭人と仕事帰りにご飯をしょっちゅう食べて知念様のあごがなくなってしまったり、二人で箱根にぶらり一泊二日温泉旅行に行ったり、ジャンプ曲の歌詞の確認のために二人でカラオケ行ったり、二人で映画見たり、二人で山ちゃんのバースデーカード書いたり(この場にゆうとりんがいないことから、所詮最近のセブン(というかゆとやま)の和解は表面的なものに過ぎず、セブンの殺伐感は水面下では生きているということが感じられてちょっと嬉しかった)、とにかく二人で楽しい時間を過ごしていることを二人とも付き合って三ヶ月目くらいのバカップルばりに各雑誌で楽しそうにアピールしてきた上に、ポポロのコンビ研究所でとどめをさされました。今まで砂漠の中から砂金を探すようにKCを探しては確かめてきた日々は何だったのか。圭人はいままでさんざん「昔の知念はかわいかったのに」を連呼していたくせに、ここにきて「かわいいから好き」とかなめとんのか?という気もするけれど、知念様があまりにも楽しそうだから愚民は何も言えません。

KCは幼少期(といっても14歳くらい)は本当に仲が良くて、その頃の楽しかった記憶が二人の人格形成の礎になっているだろうから、鮭が生まれた川に戻ってくるようにいつかはまた仲良しKCに戻る日が来るだろうとは思っていたけれど、それは私のもくろみでは25歳頃、早くても圭人が大学卒業するあたりくらいだろうなぁと思っていたので、思いのほか時期が早く、しかも思いのほか、なんていうか、ラ、ラ、ラブラブ?(この表現をKCに使う日がこようとは……)な感じで、ポルナレフが初めてザ・ワールドに対峙した時のような戸惑いに襲われています。ゆとやまが表面的とはいえ和解したことや仕事のスケジュールやら様々な生活スタイルの変化が組み合わさって、ちょっとした偶然の産物でKCの交流が復活したんじゃなかろうか。

砂漠の中から砂金を探すようなKC探しの作業を意外と愛していたので、今の状態は嬉しいやらさみしいやら。でも、砂金が好きだからって、ぽんと金の延べ棒を差し出されたら受け取らないかと言えば、それは別の話で、それはそれとしてありがたく飛び付く。つまり、なんだかんだでものすごく嬉しいのである。

現状、二人とも仲良しの初期衝動に突き動かされてハイになっている気もするので、しばらくしたら落ち着くんだろうけど、どういう形に落ち着いていくのか、不安もありつつ楽しみにこの夏のツアーは見守って行きたい所存です。