愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

じんじんと『ミスト』

今日は上司と話していた時になぜか「躊躇」という単語が出てこなくて、咄嗟に「その時、私はヘジテイトしてしまったんですが……」と言ったら、「え、ヘジテイトって何?」と思いっきり聞き返されて、「あ、その、ためらうとかそんな意味です。咄嗟に出なくて」と答えたら、「むしろヘジテイトなんて言葉出てこないよ。よく覚えてるね」と言われたんですが、まさか「昔、あかにしじんじんが歌ってたソロ曲のタイトルだから覚えてました!!そのバックで踊る五関さんが素晴らしかったんですよ!!」なんて言えるわけもなく、ああ人生に大事なことは全部アイドルが教えてくれたのに言えなくて切ないなぁとしんみり思ったりしたんですが、そんな今日はじんじんのお誕生日ですね。じんじんももう三十路、じんじんのおばかさんなところが昔は大好きだったんですが、大分変わってしまったんだろうね……と思ったけど、よくよく考えてみたら馬鹿じゃなかったらあんなことせずまだカツンやってただろうから、やっぱりじんじんは相変わらずおばかさんなんでしょう。じんじんの名言で一番好きなのは風間さんに対して言った「酸味とか難しい言葉使うね」です。じんじんに対してはもはや何の感情もないのですが、じんじんの誕生日なんてさっぱり忘れていたのに、たまたまhesitateなんて言葉が出てきたことに宿命を感じたり感じなかったり。


なんか日記を書きたい気分なので、日記を書ける時は書きたい。いつの間にか知念様のことしか書いちゃいけない気がしていたけれど、別にそんなことはないんですよね。


最近、文化的な女を目指しているので映画をよく見ています。本を読むのは時間がかかるしめんどくさいので、大体2時間じっとしていれば済む映画で済まそうという魂胆です。というと、まるで映画を馬鹿にしているみたいですが、○時間で済むということは逆に言えば決められた時間内でその内容を理解し咀嚼していかなければならないということで、本を読むよりも制約的であり、集中力と想像力を求められる作業なような気がします。


というわけで、今日は帰ってきてから『ミスト』という映画を見ました。霧の中に潜む未知の化物への恐怖というクトゥルー的展開に最初はわくわくしながら見ていましたが、最後は最悪でした。この映画のテーマは「諦めたらそこで試合終了ですよ」なんだろうか。だとしたら監督のフランク・ダラボンはダークサイドに100万回落ちた安西先生だ。とにかく主人公の息子ビリー(8歳)がかわいかった。この映画におけるショタの意義は大きい。ショタのイノセントは極限的な状況に追い込まれてパニック状態になった人間の醜さを照らし出す小さな光であり、清らかであればあるほどそのコントラストは明確になり悲劇性が増す。ビリーたんは本当にかわいらしい。金髪の天使だ。だからこそあーあーあーあーあー……というお話(多少語弊あり)。ただ、思ったより後味は悪くなかった。この映画は「後味の悪い映画」で検索すれば必ずと言っていいほど入っているし、「理不尽」という言葉で語られがちだけど、やっぱり私は「諦めたらそこで試合終了ですよ」がテーマなんだと思う。最後に出てきたお母さんを見てそう思った。そのせいか、見た後には虚脱感と共に妙な爽快感と達成感もあった。もしかしたら、ものすごい角度から撮った人間讃歌なのかもしれない。まぁその角度が最悪なんだけど。


ラブクラフトが読みたくなったけど、部屋のどこにあるのか分からない。その代わり『グラスホッパー』は見つけたから時間があったら読もうかな。山田くん映画おめでとう。