愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

知念様21歳おめでとうございます。

誰しも「宇宙の果ての外側には何があるんだろう?」と考えたことがあると思います。私にとって宇宙の果ては20歳でした。


男の子の11歳〜16歳という年齢は桜で言えば満開の季節です。その初々しい生命力は見る者を圧倒し魅了します。
私が一番好きな少年の年齢は17歳です。子供の時代が終わり大人に変わり始めた少年が新緑のように瑞々しく輝く素晴らしい季節です。
18歳も好きです。少しだけ大人の世界を手に入れつつもやはり不自由の中で生きなければならない高校最後の1年です。
19歳は大人と子供の間で何の肩書きもないある意味一番不安定な1年で、その不安定さもまた魅力的です。
そして20歳となった少年は青年へと成長し、大人として完全に認められ自由に羽ばたいていきます。


私の宇宙はここまででした。今まではどんなに好きな方でも20歳を過ぎると緩やかに萌えを失っていくことがほとんどで、私の萌えの中に「21歳」という年齢は存在していませんでした。「ちねんゆうり21歳」という概念はまさに私にとって宇宙の果ての外側の存在で、私の想像力の限界を超えた代物なのです。

何せ私はショタコンなので、知念様を全力で好きなのはきっと15〜17歳までで、惰性で18歳・19歳も見届け、知念様20歳とともにジャニヲタを卒業し、ドストエフスキー文学の精読生活に入る予定でした。ここ2・3年は「今年でこんなに知念様が好きなのはきっと最後だから」と思い、ツアーも出来る限り全ステしてきました。まさか20歳を12ヶ月もすぎた知念様のことも未だにフルスロットルで好きだなんてまったく予想だにしておりませんでした。


ここ1年の知念様のもっとも顕著な変化は圭人と再び仲良くなったことだと思います。知念様の圭人との再接近はKC厨の私ですら戦くほど急激にやってきました。

2011年10月21日のウルパワで圭人はこんなことを言っていました。

あのー、すごいメンバーにすんげー甘えてた、昔から、知念。膝乗ったりとか、ほっぺにちゅーとか、してたりとかするんだけど、もうすんごいみんなに甘えてんの、知念。甘えてたの。 でも、なんか分かんないけど、絶対俺にはしてこないの。絶対、知念、俺には甘えてこないの。で、なんかもう、一回言ってみたの。ちょっと昔だけど、甘えてる時期の話になっちゃうけど、あのなんか裕翔の膝の上座ったりとかして、そのあと山ちゃんの、あの、膝の上座ったの。それで聞いたの、俺、勇気出して。
「ねぇ知念、なんで俺に、なんか甘えてこないの?」
ま、いま考えると気持ち悪いけど。知念が一言、「いや、なんか、圭人だと気持ち悪いんだよね」って言われた……。それで傷付いたイメージがある。

それが今年の夏に出たTVfan9月号ではこんなことを言ってました。

最近変わったと思うメンバーは知念。昔は甘えん坊でメンバーの膝に座ったりしてたけど、大人になってそういうのが減って、オレ的にすげえ寂しいなぁって気持ちがあったんですよ。だけど最近また甘えてくる。知念に「お腹空いたよ」って言われたら「もう〜一緒に食べてあげるよ」ってなるし、「今一人でご飯食べてる」ってメールが来たら「すぐそこ行く。一人で食べないでよ!」って。知念、健康的になったでしょ?ただ、食べさせすぎないように気を付けないとだけど(笑)。「暇だよ〜」って連絡が来たら迎えに行くし。甘えてくれない時はちょっと寂しかったからな。やっぱかわいいです、ちーちゃん。仕事場では知念だけどプライベートでは“ちーちゃん”って呼んでるから。気持ち悪いね、オレ(笑)!

圭人が記憶障害を本気で疑うレベルのことを言っていて開いた口がふさがらなかったのですが、この圭人の記憶障害は知念様の変化がもたらしたことだと思うんです。


最近、知念様のかわいさの暴力性についてずっと考えていました。ここのところ知念様を見るのが苦手です。まず見る前に今回の知念様もかわいいんだろうなぁと想像し身悶えます。そして、実際に見て予想以上のかわいさに打ちのめされます。1回知念様を見るたびに私は2度知念様のかわいらしさに打ちのめされます。そのことに疲れてしまって、知念様を見ることが辛いのです。前から知念様に対してこういう傾向はあったのですが、この1年間で特に顕著になってきて、もはやアイドル雑誌を読むことも苦痛です。知念様のかわいさは私にとってもはや暴力なのです。

暴力で一番大事なことは「容赦のなさ」だと思います。北野武監督のヤクザ映画を見ていると、ためらいなく指を詰めたり、銃で頭をぶっ放したり、文字にするのも恐ろしいような拷問(『アウトレイジ』の歯医者のシーンはトラウマレベル)をしたり、とにかく何もかも容赦がない。その容赦のなさが暴力の純粋な暴力性を引き出すのです。

少し前までは知念様のかわいさには一歩引いたところがありました。どんなに笑っていてどんなにかわいくても精神的には引きこもっているような気がしていました。特に選挙活動中の政治家のごとく笑顔でファンサをしまくる知念様を見ているとファンサという檻に引きこもっているような気がして切なくて仕方ありませんでした。甘えん坊キャラというわりに休日は自宅に引きこもり、誰とも交流しない知念様の行く末を勝手に心配したりもしていました。

しかし、最近の知念様にはそういう切なさをまったく感じません。素直に他人に甘え、セブン会をしたり、山ちゃんと今まで以上に仲良くしたり、圭人をご飯に誘ったり圭人をご飯に誘ったり圭人をご飯に誘ったり、ぬ〜べ〜の共演者と遊んだりご飯に行ったり、狭いながらも楽しそうに外に出ています。まるで遅れてきた青春を楽しんでいるかのようです。

素直に甘え、その甘えをすべて受け入れられ、愛されている自信に満ちている知念様のかわいさには容赦がありません。それは近くにいる人ほど強烈に食らって、パンチドランカーのような症状をもたらしています。現に圭人は強いパンチを食らいすぎて記憶障害を起こしています。ラジオで知念様にお誕生日会をキャンセルされたことをぼやく山田くんにも一種の狂気を感じます。21歳の男の誕生日を祝うことになぜそこまで固執するのか。また、以前はMC中に知念様が寒い発言をすると、メンバーが「また知念が変なこと言ってるよ」と呆れた顔をすることもあったのですが、smartツアーでは知念様が喋っているだけで「知念すごいねぇ。がんばって喋ってるねぇ」と孫を見守るおじいちゃんのような顔になっていました。一方的に見守っていただけの私にすらその威力は強烈なのです。


知念様が20歳になった日、私は渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』を聴いていました。自由という空に羽ばたき、一人で生き始め、素直に甘えるようになった20歳の知念様は私が今まで応援してきたどんな年よりも輝いていた気がします。5月のドームで見た赤ちゃんのように真っ白くまんまるに太った知念様は愛されている自信と幸せで内面から膨れているみたいでした。太ったことに気付いて慌ててダイエットする知念様もとても愛らしいと思います。私が見ていた中で一番微笑ましくて伸び伸びしていて人間らしい知念様がみられた1年でした。

1年前、20歳の誕生日に高校1年生の役を演じているなんて知念様はなんて尊いのだろうと感動していました。だけど知念様は21歳になってもドラマで高校2年生の役を演じ、あろうことか去年演じていた瞬太くんよりもショタショタしいという奇跡を起こしています。

私はもともと「知念様世界一かっこいい教」の狂信者であり、実を言うとそれほどショタ的に知念様をお慕いしていたわけではありませんでした。しかし、ここにきて知念様の暴力的なかわいさに打ちのめされ「知念様世界一かわいい教」の熱狂的信者になりつつあります。むしろ20歳を超えて、ようやくショタとして知念様を好きになりつつあるのです。


妄想が走りすぎて本人を飛び越えてしまうことが多い私ですが、そんな私の思い込みを軽々と飛び越えて、私も知らない扉をガンガン開いていく知念様に相変わらず夢中です。いつだって今の知念様が一番好きです。そのかわいさとかっこよさで私を打ちのめし続けて下さい。圧倒的な力にねじ伏せられることが多分私がアイドルを追う最大の理由なのです。

知念様、21歳おめでとうございます。
知念様が今日という日を世界一幸せに過ごせるように心から祈っています。