愚民159

人はただ十二三より十五六さかり過ぐれば花に山風

ツイッターやめました

わりとどうでもいい話なんですが、ツイッターのアカウントを消しました。随分前から消すことを考えていたんですが、日記に移しきれてないレポもどきを移記するまでは消せないと思っていて、でも今日設定画面を見ていたらログをダウンロードできることに気付いたので未練がなくなって消しました。

最近ちょっとがんばって日記を書いていたんですが、やっぱり自分の思考回路をしつこくなぞりながら文章にしていくことが好きです。ツイッターも楽しいし便利なんですけど、なんだかだらだらと見てしまうし、何より剥き身の感情がゴロゴロしているので見ていて意外と気力を使うんですよね。私は他人の影響をあまり受けないくせに、他人の言うことをすごく気にするので、自分で思っている以上に向いていなかったんだと思います。

と言っても別に嫌なことがあったわけじゃないので、知っている方はコンサート等で会ったら普通に話して下さい(笑)日記を非公開にするよりもツイッターをやめる方がよっぽど知念様に真摯に向き合えることに気付いたので、はてなで知念様について書きつづるという原点に回帰することにしました。とりあえず日記を書くことを日常にして、少しずつでもコンサートの記録を残していきたいです。

此岸と彼岸

ここ数日「I saw her standing there」と「Where my heart belongs」の歌詞を交互に思い出しては知念様を思って泣いていたんだけど、このまったく違う二つの曲をなぜ一緒にして思いだすのかというと、たぶん私が「there」という単語が好きだからなんだと思います。「here」ではなく「there」だからいいんです。

ああ、ぼくはきみを研究しましたよ!ぼくはよく横のほうから、物陰からきみを眺めるんです!
(中略)
きみ以外にはこの世界にだれもいないんですよ!外国にいたころにもう、ぼくはきみを思いついたんですよ、きみを見ているうちに、きみを思いついたんです。もし、物陰からきみを見ていなかったら、こんな考えは頭にうかびっこなかったんです……
(『悪霊(下巻)』 ドストエフスキー江川卓訳)

本当にこれが私の知念様に対する思いのすべてて、私は双眼鏡という物陰から知念様を覗きこみながら、知念様のことをいつも思いついているような気がします。それはすべて私の妄想で、本人には関係ないことです。


「Where my heart belongs」の「And I know there's more place Where I should be, I'll be there soon(僕は知ってるんだ、僕がもっといるべき場所があることを。もうすぐ僕はそこへ行く)」という歌詞が好きで、私は「there」に立っている知念様に恋焦がれているから、「そこ」に立っている女の子を見た瞬間から恋が始まる「I saw her standing there」も好きなんだと思います。


近くに行くことも大事なのかもしれないけど、知念様は遠くから見ていてもとても輝いているので、あまり自分を安売りしないで、ただそこで輝いていて欲しいです。

悟りということ

フランスDVDで結婚が早そうなメンバーとして知念様は圭人を挙げていて、その理由が「DNA的に」だったんだけど、早い結婚もルーズなところもアクティブすぎるところも知念様的にはいまいち理解できない部分だと思うんだけど、余計なものは切り捨てて生きるタイプの知念様が、わざわざ「生活スタイル」や「DNA」という理由付をして理解できないまでも受け入れようとしているのはすごいことなんじゃないかと思うようになってきて、もしかしたら私が思ってるよりずっと知念様は圭人のことが好きなのかもしれないと考えて一人で感動していたんだけど、なんかもうKCについては悟りを開きつつある気がする。

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふことは如何なる場合にも平気で生きて居ることであつた。

正岡子規『病状六尺』)


もはやいかなる場合でも平気で好きなままなことが分かったから、逆にもうそんなにこだわることもないのかもしれない。

彼女はたったの17歳だった

ビートルズの「I'll never dance with another, since I saw her standing there」というフレーズが頭の中をぐるぐるしているんだけど、確かにこの歌は私の知念様に対する気持ちと似ているかもしれない。
私もこういう勢いで知念様に落ちたし、もはや知念様以外にはこんな風に馬鹿みたいに踊れない。
「I saw her standing there」は底抜けに明るいラブソングで大好きなんだけど、底抜けに明るいものはなんとなく落ち込んでいる時に聞くと、なぜかますます落ち込んでしまう。その明るさに照らされて、自分の暗さが際立つからなのかもしれない。

担降りについて

友達に少年コレクションのまとめみたいなのを教えてもらって、それがきっかけで次のテーマが担降りだということを知ったんですが、そういえばちょっと前に知念様から降りた方の文章をたまたま読んで勝手に悲しくなって、私が知念様ファンじゃなくなる日が来てもそのことをわざわざ書くことはしない!と勝手に決めたんですが、そうは言っても私自身だって一番好きな人は風間さんから始まってどんどん変わっていて、そんな自分の心の移ろいはなんと言うつもりなんだよと思ったんですが、よくよく考えると私は降りたことなんてない。むしろ、いつだって好きの階段を登ってる!登り続けていまやもうチョモランマのてっぺんよりも高いところで知念様が好きと叫んでる!!ような気がするんだけど、登りすぎて時々高山病になることもあって、苦しくなった時に前にいた場所に降りて行くとほっとするので、基本的には登り続けているけどたまに降りることもある、というのが私のジャニヲタとしてのスタンスなんだろうなと思いましたお(知念様ラジオがかわいかったので真似した)。

透明な怒り

久しぶりに拍手からコメントをいただいて嬉しかったです。もはやコン感想を置くだけの跡地になって久しいですが、まだ見てくれる人がいるんだなぁと思って嬉しかったです。萩原朔太郎の「死なない蛸」という散文詩が好きで、この日記でも何度か引用しているんですが、忘れられた水槽の中で飢えのあまり自分の足を食べつくしてしまう蛸が、もはや機能していない日記の中で言葉を変えて何度も同じ思想をなぞっている自分の姿と重なって、このままひっそりとヲタ卒していくのもいいかもなと思ったりもしていたのですが、覚えてくれている人がいて嬉しかったです。やっぱり死なない代わりに飢え続ける蛸よりも、ちゃんと食べるものを食べて死ねる蛸になりたいです。
今回のコメントだけじゃなくて、前にいただいたメールもコメントもあまりお返事はできていないのですが、すべて嬉しく読んでいます。今更ですが、ありがとうございました。


私はいつだって今が一番知念様を好きなんですが、ここ数日色々考えすぎた結果、私の中の知念様株価がアベノミクス後に急騰した日経平均株価よりも急速な勢いで上がっていて、それに伴って色々書きたい気持ちが湧いてきたのでしばらく思うがままに更新したいと思います。


ここ数日で色んな人の怒りに触れた気がします。他人の怒りを目の当たりにすると、岡本太郎の『美の呪力』にあったこの言葉を思い出します。

怒りは宇宙に透明にひろがる情熱、エネルギーだ。


ジャニヲタをやってると色んな怒りに直面します。コンサートの後、楽しそうにしているファンの方がもちろん多いのですが、怒っているファンもたくさんいる気がします。2009年から2010年にかけての冬コンで花道がない(=ファンサが少ない)ことを呪詛のように延々と罵っている人がいて衝撃を受けたことがあったんですが、私自身ぱっと思いだせる怒りは、NYCコンサートが開催されないとか、KCラジオがこないとか、知念様が誰かにかぶって見えなかったとか、知念様にまつわることばかりです。


怒りの根底には対象への思いがあります。私は仕事でクレーマーじみた方を相手にするのが結構好きなんですが、文句を言う人ってそれだけの思いをこちらに抱いてくれているんですよね。そういう人ほど、一度裏返せばこちらに好意を寄せてくれるようになります。逆もしかりで、思い入れがあればあるほど怒りは深いものになり、宇宙的に広がっていき、やがて自己へと辿りつきます。

自他に挑み、歓喜し、絶望しながら、思わず空を見上げる。晴れた透明な日、また密雲が暗く渦巻くとき、そこに自分の姿を投影し、自己を、そして人間存在を自覚するのだ。


私が突然ふっきれたのは知念様のおかげもあるのですが、一番の要因は真摯に向き合っている方々の姿に感銘を受けたことです。嘲笑するのでもなく、諦めるのでもなく、憤って(怒りの対象は様々でしたが)、そんな自分に向き合って、最終的に応援することを選ぶ姿がすごく美しかった。ここにある怒りこそ「宇宙に透明にひろがる情熱、エネルギー」なんだと思いました。結局のところ、私は当事者じゃないんですよね。だから私の怒りはそこまでは広がっていかない。そんな私なんかが落ち込んでいる場合じゃないと思ったんです。


余談ですが、引用した文章はいずれも「挑戦」という章からのもので、この章の最後は武器についての考察で締められます。

華やかな武器、いでたちは、それ自体が挑みの姿だ。殺傷の道具だが原始時代には槍・弓・矢にまでびっしりと呪術的な装飾をつけたものが多い。(中略)奇怪な形が威嚇と力を伝える。


ここにきて私はコンサート会場のうちわに注目し始めたのですが、ジャンプコンにおけるうちわは、私が知っている他のグループのコンサートと比べると独自の進化を遂げている気がします。素朴なものから威嚇的なものまで多種多様にあり、それぞれに持ち手の祈りと挑戦が込められています。それを遺影のごとく胸に掲げている姿は宗教的ですらあり、もはやジャンプコンは一種の原始的な芸術の場になりつつあるのかもしれないと思う今日この頃です。

圭人のことを知念様の愚民として考える

長らく日記で感情的なことを書くのを避けていたんですが(これでも)、ここ数日例の件をどう受け止めたらいいのか分からなくて、私は何かに思い悩むと本を読むという性癖があるので、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』を読み耽りながら意識の片隅で悶々と考えていたのですが、ブリキの太鼓を叩きながら過去について綴るオスカルを見ているうちに私にはこの場所があることを思い出したので、久しぶりに思ったことを思ったままに書いてみることにします。私にとってブリキの太鼓はきっとここなんだと思います。


私はもともと圭人のことがあまり好きではありませんでした。何度か言ったことがあるかもしれませんが、2006年のジャニーズJr.の大冒険で、お父さんの健一さんが「ミッドナイトトレイン」を歌っていた時、他のジュニアの子たちは一生懸命歌っているのに、圭人だけはつまらなそうにあくびをしているのを見てしまったからです。おいおい、お前のために父親がわざわざ出てきて歌ってるのにそれはないだろ、おぼっちゃん?と当時の私は呆れてしまい、いけすかない七光り野郎としてインプットされました。


私は根に持つタイプなので、知念様を好きになってもしばらくは圭人に興味はなかったのですが、知念様を知っていく上で圭人の存在を避けて通れなくなり、段々と圭人の中身を知っていくうちに「まぁ圭人だからしょうがないか」と思うに至りました。
今回の件について悶々と考えていたんですが、これについても最終的に辿りついた結論が「まぁ圭人だからしょうがないか」だったんですよね。最初は「圭人、フライデーとかちょっとかっこいいんじゃない?スターみたいじゃない?」と不謹慎にも興奮していたんですが、段々「え、撮られたんじゃなくて流出なの?馬鹿なの?」と苛立ちが湧いてきて、でも最終的な「まぁ圭人だししょうがないか」といういつもの結論に辿りついてしまった。いや、しょうがなくないんですよ。全然しょうがなくない。もっと言えば、あくびをしていたことすら私は未だにしょうがないとは思ってない。説教できる機会があるなら今でもしてやりたいくらいです。


でも、考えているうちに「まぁ圭人だからしょうがないか」と思ってしまうんです。他担だから無責任なことを言うんじゃないかと言われるかもしれませんが、もともと現場系じゃなかった私がこれほどまで現場系になってしまったのは確実にKCのせいなんです。知念様はいつも同じように素敵だから、ファンサ厨でもない私が同じコンサートを何度も見る必要って実はあまりないんです。じゃあなんで現場に行くのかというと、すごく分かりづらいけれどそこに確かにKCがあるからなんです。私がもともとあまり好きじゃなかった圭人を好きになったのは、知念様が圭人といる時だけ素になってのびのびとしていて、そんな知念様がとてもかわいかったからであって、そんな圭人は私にとってもすごく重要な人なんです。


私はもともと知念様のアイドルとしての自意識の高さが好きでした。見た目は子供、頭脳はアイドルな知念様がかっこよくて仕方ありませんでした。私はそんな知念様かっこいい教の狂信者だったので、圭人といる時のかわいい等身大の知念様を発見した時は、パウロがキリストに出会った時のように目から鱗がぽろぽろ落ちました。いや、実際には落ちてないけど、それくらいの衝撃でした。知念様にとって圭人がどういう存在なのか知りたいと思ったものの、コンサートレポはほとんどないし、雑誌でも対談しないし、ラジオも陰謀説を唱えたくなるくらい当番が回ってこなかったため、私は自分の目でKCを見るために現場に行くようになりました。そして、やっぱり圭人と対峙する知念様が一番かわいいと確信したので、パウロキリスト教の伝道師になったように、私もKCを伝え広めたいと思うようになったのでした。


今回のツアーの長野でのMCで、前日にメンバーで焼き肉を食べていて、にんにくを食べようとした時に知念様が「ちょっと待って。これ食べたらお客さんのとこ行けなくなっちゃうよ。どうする?」と悩んでいたという話を聞いて、知念様がかっこよすぎて健気すぎてアイドルすぎて、感動のあまり泣きました。結局食べたらしいんですけど、焼き肉を食べる一男子である前に、翌日にコンサートを控えたアイドルとして、客席降りを気にしてにんにくを食べることをためらう知念様の意識の高さが本当に素晴らしいなと思いました。


それに比べて圭人ってアイドルであるという意識があんまり高くないんですよね。生まれた時からジャニーズが日常の生活を送っていたから、別にわざわざ意識しなくても彼はジャニーズでいられるんです。だから、彼にはアイドルであるための意識なんて必要ないんです。圭人はファンに優しいという話も聞きますが、圭人の優しさは自己愛から発しているものだと私は思っています。圭人が「ファンのため」と言っていても、そういうファン思いの自分を愛する気持ちが一番強いような気がします。そういうのって本当は鼻につくんですけど、圭人はもともと愛され尽くして育ったことと、一旦自分のバックグラウンドが何もない英国に留学して牙を全部抜かれたことがうまく作用して、押しつけがましさがないナルシストという不思議なパーソナリティを手に入れました。


圭人がそういう人だってことは分かっていて、それが圭人の良いところだとも思っていて、知念様もそんな圭人だからほっとするんだと思うんですけど、でもやっぱり今回の件はちょっと馬鹿すぎるという失望にも似た気持ちが強くて、知念様はこんなことをしでかした圭人のことをどう思っているんだろうと思って悩んでいたんですが、ふと思い立ってフランス旅のトーク部分のDVDを見てみたら、少し答えが見つかった気がしました。


「同じグループじゃなかったら友達にならない人」というテーマで知念様は圭人を選んで、こうおっしゃってました。(括弧内の数字は再生時間の目安)

「圭人とかかもしれない。意外でしょ?(高木:意外)(八乙女:超意外)(薮:ジュニア時代とかずっと二人でいたりしてたじゃん)そうそうそうそうそう。なんだろ最近かな、でも。ちょっと圭人のアクティブさについていけないっていう。その性格どうのこうのっていう感じじゃないんだよね、そこなんだよね」(51:53)

「あとなんか色んな決まり事にちょっとルーズなとこあるじゃん。ちょっと時間とかも、結構遅くまで寝てるとか、約束したのにあんま起きないとか、そういうとこがちょっと僕の生活スタイルには合わない。僕は時間より、絶対集合時間より20分は前にはいたいとか。(52:43)(中略)そういうの心配だから、圭人には、なんか、ね、ちょっと電車が遅れたりとかしたら遅刻になるから、30分前ぐらいには来るようにしといてよって言ってるんだけど、絶対にない、しないよね(55:05)」


そもそも知念様は圭人のルーズなところがあんまり好きじゃないんですよね。圭人の意識を正そうとしているのがかっこいい。諦めてるけど。その後、「自分が女でメンバーを彼氏にするなら?」という質問で、知念様は圭人は無理だとおっしゃって、こっそりこう呟いていました。

「性格とかじゃないから、生活スタイルだから」(1:12:29)


知念様のいう生活スタイルって、仕事に対するスタンスとか意識とかそういう意味だと思うんですけど、生活スタイルが合わないだけで圭人の性格は別にいいんですよね。最初に引用した部分でも「その性格どうのこうのっていう感じじゃないんだよね、そこなんだよね」と知念様はおっしゃってました。
私は今まで「罪を憎んで人を憎まず」という言葉の意味がいまいち分かっていなかったのですが、知念様のこの「生活スタイルを否定して性格を否定せず」というスタンスはまさにそういうことなんじゃないかと思いました。


今回のことで、正直私は呆れてしまった気持ちが大きくて、きっと知念様もそういう気持ちがあるんじゃないかと勝手に思っているんですが、よくよく考えたらメンバーの知念様は私なんかよりずっと前から圭人のそういう部分(女関係のことではなくて色んな意識がルーズなところ)を知っていたわけで、だけど圭人そのものは否定はせず、生活スタイルと性格を分けて考えていらっしゃったんですよね。圭人そのものに呆れていたら、脳内ダンスであんなに圭人を褒めちぎる歌詞なんて作れないと思うんです。


ここまで考えて、知念様って本当に優しい人なんだなぁとしみじみ思いました。最近、コンサートを見ていて、知念様の優しさは弱さからきているものじゃなんじゃないかと思っていたんですが、知念様自身の芯の強さからも来ているんですよね。圭人の生活スタイルを否定して、性格を否定しない知念様はとても強くて優しい人だと思うんです。


きっと今回も知念様は彼の生活スタイルに対しては呆れて怒ると思うんですけど、性格は否定しないんでしょう。そう思ったら少し気が楽になりました。そんな風に分けて考えてもいいんですよね。
あとは実際に福岡で自分の目で見て判断するしかないのですが、きっと知念様は変わらなくて、私は最終的にいつも通り「まぁ圭人だからしょうがないか」と思ってしまうんでしょう。全然しょうがなくないんだけど!しょうがないでなんとなく済んでしまう圭人も好きなんですけど、やっぱりしょうがなくないと思うので、圭人にはこれから死ぬ気でがんばってほしいです。そしてやっぱり知念様はかっこいいです。